野坂昭如の逸話 ― 桜田門の"ヌードショウ"(1970年代初頭)
1970年代初頭の日本は、高度経済成長の余韻に揺れながらも、公害や学生運動、そしてベトナム戦争に揺れる社会の緊張感が色濃く漂っていた時代だった。政治や社会の場では権威主義的な空気が強まり、同時に大衆文化の側では自由や表現の解放を求める動きが高まっていた。芸能界や文学の世界においても、エロスや暴力をめぐる表現が盛んに登場し、検閲や規制とのせめぎ合いが続いていた。そんな背景の中で、作家であり歌手でもあった野坂昭如の「桜田門のヌードショウ」逸話は、ユーモアを通じて当時の社会の矛盾を鋭く浮き彫りにしている。
野坂は、桜田門(警視庁前)のプールで機動隊員たちが一斉に着替える姿を見て、「まるでヌードショウだ」と語った。市民にとっては娯楽としてのヌードは猥褻物陳列罪に問われる可能性があるのに、権力機関である警察のそれは当然の公務とされる。この逆説を前にして、野坂は「これは猥褻物陳列罪じゃないか」と思いつつも、「相手が警察だから公務執行妨害になるかもしれぬ」と黙ったと回想している。この語りは、笑いを誘う軽妙な調子の裏に、社会の二重基準への皮肉を込めていた。
当時の芸能表現は、ピンク映画やストリップ劇場など、性的表現の自由を求めて拡大していたが、その一方で警察や行政による規制や摘発も相次いでいた。野坂の比喩は、この「性と権力」のせめぎ合いを風刺的に映し出している。一般市民が同じことをすれば処罰されるが、権力者が行えば「正当な行為」とされる。この矛盾を「ヌードショウ」という笑いに置き換えることで、彼は表現の自由と権力の関係を生き生きと描いたのである。
野坂昭如の逸話は、一見すると単なるジョークに過ぎないが、その背後には1970年代の社会的空気、すなわち自由を求める文化の高揚と、それを抑制しようとする権力の構図が重ね合わされている。彼の言葉は、ユーモアを通じて社会の矛盾を映し出す「笑いの抵抗」として記憶されるべきものだろう。
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