### 寺山修司 言葉の力と影の風景―方言と横文字の交錯(1970年代初頭)
1970年代初頭の日本は、高度経済成長の勢いが一段落しつつあり、都市と地方の格差や文化的な緊張が顕在化していた時代であった。地方から都市へと人々が流れ込み、東京を中心とする文化が支配的になっていくなかで、方言はしばしば「古さ」や「野暮ったさ」と結びつけられ、メディアは標準語を普及させることを当然視していた。その一方で、広告や政治、音楽の場には横文字があふれ、知性や先進性の象徴として氾濫していたのである。寺山修司の語りは、まさにその時代の言語状況を鋭くえぐり取るものであった。
寺山はまず、言葉とは決して透明な器ではなく、常に曖昧で、価値の代替物にすぎないと語る。信用を裏付けるのは言葉そのものではなく、それを支える社会的関係や力であるというのだ。例えば、佐々木更三が演説中に唐突に横文字を交えると、そこには説得力が伴わない。横文字を混ぜることでモダンさを演出しても、根拠となる社会的な背景がなければ空疎に響くだけだと寺山は言う。その風刺の鋭さは、政治の場における言葉の軽さを浮かび上がらせていた。
さらに彼は、言葉が通用するか否かは背後の力に依存していることを示す。たとえば「イクイク」が外国では「クルクル」と表現されても、関西弁は大阪の経済力や山口組の勢力によって裏付けられているからこそ通用するのだと述べる。ここには、言葉そのものよりも、経済や暴力を含めた社会的な力が意味を保証するという、ユーモラスで辛辣な認識が潜んでいる。
そして寺山は、標準化された言語の均質化に抗して、むしろ方言や地域文化の細分化にこそ面白さと豊かさがあると説く。長寿庵のランチや宝来館という食堂や映画館の名前が、その地域でしか通じない符牒のように使われることは、人々に思いがけない「出会い」を生む。誰かが東京の日劇を見て「東京の宝来館はでっけえな」と言ったとき、それを笑ったり注意したりする出来事こそが、新しい関係を生むのだという。
この言語観は、単に地域言葉の擁護にとどまらず、社会の多様性や人間関係の豊かさを見据えていた。出会いの連続の中で人は形成されるのだと寺山は説く。均質化された言葉や横文字への盲信ではなく、むしろ「自分語」を持ちながら他者との関係を築いていくことに人間存在の可能性があるという姿勢は、当時の言語状況に対する痛烈な批判であり、現代のグローバル化やSNS時代における言葉の問題にもなお響き続けている。
寺山修司が描いたこの会話は、標準語化の波に押し流される日本社会に対し、言葉が社会的な力とどのように結びついているのかを見抜く冷徹な眼差しを示していた。そしてまた、地域のことばや個人の「自分語」をこそ大切にするべきだという、鋭くも詩的な宣言でもあったのである。
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