Sunday, August 24, 2025

言葉の多様性へのまなざし―寺山修司の言語観(1970年代初頭)

言葉の多様性へのまなざし―寺山修司の言語観(1970年代初頭)

1970年代初頭の日本は、高度経済成長の余波により都市化が加速し、人々の生活や言葉も均質化へと向かっていた。テレビ放送の普及は全国に標準語を浸透させ、方言は「矯正すべきもの」として扱われる風潮すらあった。社会全体が効率と統一を志向するなかで、多様な地域文化は周縁化されつつあった。

こうした時代背景のなかで、寺山修司は言葉の多様性を積極的に肯定した。彼は標準語の普及を進歩とみなす社会の風潮に異を唱え、むしろ方言や地域語が細分化されることにこそ文化的価値があると主張した。寺山にとって、言葉の多様性は単なる表現の違いではなく、人間関係や地域社会の独自性を形づくる根幹であった。

彼は、方言が持つ響きや独自の意味合いが人々の関係を豊かにし、地域文化に新たな芽をもたらすと説いた。標準化は便利さをもたらすが、同時に多様性を失わせ、人間の関係性を平板化する危険をはらんでいる。寺山の視点は、都市化とマスメディアが言葉を均質化していった時代にあって、文化の奥行きを守るための抵抗でもあった。

この言語観は、後のポストモダン的な文化論にも通じる先見性を持っている。言葉をただの伝達手段としてではなく、社会や人間関係を映し出す鏡として捉えた寺山のまなざしは、均質化に抗する文化的想像力の象徴であった。

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