井戸端に響く声、新宿の裏面史 ― 1990年代から2000年代
あの頃の歌舞伎町を思い出すと、まず浮かんでくるのは井戸端会議のざわめきだ。夜の街角に誰からともなく集まり、煙草の煙とともに噂話が広がっていく。私はその輪の中で耳を澄ませ、時には声を交わしながら、表には決して出ない話を聞いていた。「時効だから暴露」という言葉は合言葉のように飛び交い、誰が誰に貢いだのか、どのホストが裏でどんな組織と繋がっていたのか、あるいはヤクザと警察がどう変わりゆくのかといった断片が、笑いや怒号に紛れてこぼれ落ちてきた。
背景には、長引く不況と社会の歪みがあった。1990年代後半から2000年代初頭にかけて、私の周りでも正社員を失った人間が夜の仕事に流れてきた。風俗に入った友人は稼いだ金をホストに注ぎ込み、夜ごとにシャンパンタワーが立つ様子を「これが私の存在証明よ」と言いながら誇らしげに語っていた。しかしその後、借金に追われて姿を消した者も少なくなかった。ホストの仲間もまた一発逆転を夢見て裏カジノに通い、気がつけば借金漬けで、ヤクザに取り立てられていた。私はそんな話を聞きながら、笑い声の裏に漂う恐怖を肌で感じていた。
さらに、暴対法の強化でヤクザの姿は表から消えていったが、街が安全になったわけではない。代わりに中国マフィアや黒人客引きが勢いを増し、混沌はむしろ濃くなっていった。住人たちは「昔はもっと筋が通っていた」とぼやき、私はその言葉にうなずきながらも、確かに秩序が崩れていくのを実感していた。
井戸端で交わされる会話は、誇張や虚実が混じっていた。だが私は、その声の断片こそが街の真実を映していると感じていた。新聞には決して載らない、私たちが生きてきた証がそこにあった。笑い混じりの告白も、悔しさににじんだ回想も、「時効だから」と肩をすくめる暴露も、すべてが歌舞伎町という街の裏面史を語っていたのである。
そして今振り返っても、あの声のざわめきは耳に残っている。私にとって井戸端会議は、ただの噂話ではなく、時代を生き抜いた人々の体温が刻まれた、生きた記録そのものだった。
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