Saturday, August 16, 2025

欲望の鎖、新宿の夜 ― 1990年代から2000年代初頭

欲望の鎖、新宿の夜 ― 1990年代から2000年代初頭

歌舞伎町の描写の中でも、とりわけ印象的なのが「欲望の食物連鎖」と呼ばれる場面である。そこでは、サラリーマン、風俗嬢、ホスト、ヤクザ、そして警察が、一つの舞台に立つ登場人物のように並び立つ。日々の仕事に疲れ果てたサラリーマンは、現実の鬱屈を忘れるために風俗へと足を運ぶ。その金を受け取った風俗嬢は、自己顕示欲や承認欲求を満たすためにホストへと注ぎ込み、やがてホストは裏カジノに通い、一発逆転を夢見ながら借金の淵に沈んでいく。借金取りとして登場するのはヤクザであり、そのヤクザをさらに暴対法の名の下に追い詰めるのが警察であった。ここには「食う者」と「食われる者」が入れ替わり立ち代わり現れる一種の連鎖があり、街全体が欲望に翻弄される人間劇場のように映し出されている


この光景の背後には、バブル崩壊後の社会が影を落としていた。1990年代後半から2000年代初頭にかけて、日本経済は不況に沈み、若者の雇用環境は厳しさを増した。生活の糧を得るために、あるいはブランド品や承認欲求を満たすために、若い女性が風俗に流れ込むことは珍しくなかった。その女性たちが稼いだ金の行き先がホストクラブであり、歌舞伎町は「シャンパンタワー」という儀式のもと、誰よりも高額を注ぎ込むことがステータスとなった。そこに夢と承認を見出した者は、次第に金銭感覚を失い、破滅へと向かうことも少なくなかった。

同じ頃、ホストたちは自らの生活を維持し、時に大金を得るために裏カジノへと通い詰めた。一晩で借金を帳消しにする夢を見て、逆に借金を雪だるまのように増やしていく姿は、この時代の夜の象徴であった。その先に待ち受けていたのは、取り立てに現れるヤクザである。だが、1992年に施行された暴力団対策法が本格的に運用され始め、2000年代に入るとヤクザの活動は厳しく取り締まられるようになった。暴力団を締め付ければ街が浄化されるという幻想は、やがて中国マフィアや黒人の客引きが台頭することで打ち砕かれ、治安の改善どころか新しい混沌を生み出した。

そして、警察もまたこの連鎖に組み込まれていた。暴対法を盾にヤクザを追い詰める存在でありながら、彼らもまた過重労働に苦しむ月給取りであった。その姿はサラリーマンと大差なく、結局は同じ「欲望の鎖」に縛られていたのである。歌舞伎町に描かれたこの縮図は、社会そのものを映し出す鏡であり、欲望が欲望を食い合う連鎖の果てに、誰一人として自由になれない現実を示していた。

このように「欲望の食物連鎖」は、単なる比喩ではなく、時代の背景に裏打ちされた現実の記録である。サラリーマンの溜息、風俗嬢の虚栄、ホストの焦燥、ヤクザの威圧、警察の冷徹。それぞれの声は記録に直接残っていないものの、文章の背後には確かに会話が聞こえてくるようであり、まるでひとつの戯曲を読むかのような臨場感を伴っているのだ。

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