環境 所沢からの問い ― 情報公開と廃棄物処理をめぐる住民の力 1999年
1990年代、日本ではごみ処分場の逼迫やダイオキシン問題が社会不安を広げていた。特に埼玉県所沢市は「ごみ焼却場の煙に含まれる有害物質」が報道で取り上げられ、健康被害への懸念から全国的な注目を集めた地域である。1999年初頭、埼玉県は産業廃棄物処理業者に処理を委託している企業名や最終処分場の所在地を公開する方針を決定した。これは従来「企業秘密」を理由に非開示とされてきた情報であり、画期的な転換だった。
背景には、所沢市の一人の主婦が行った「非開示処分取り消し訴訟」がある。彼女は子どもの健康を守るため、どの業者がどこに廃棄物を処理しているのかを知りたいと考え、行政を相手に裁判を起こした。その訴えは大きな反響を呼び、住民運動へと発展。市民が情報公開を求める声が高まるなか、県も従来の「秘密主義」からの転換を迫られたのである。
当時の時代背景として、1998年に情報公開法が国会で成立し、行政情報の透明化が全国的な潮流となっていた。環境分野では、環境アセスメント法や公害防止協定を通じた住民参加の制度化が進められていた時期でもある。所沢での訴訟と県の方針転換は、こうした全国的な動きと歩調を合わせながら「住民の知る権利」が廃棄物行政を変えていく象徴的な事例となった。
つまりこの出来事は、一主婦の行動が地域を動かし、さらに県の政策を変えたという意味で、情報公開と住民運動の結びつきが日本の環境行政を前進させた象徴的なエピソードといえる。
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