Saturday, August 16, 2025

環境の海に揺らぐ岡山のノリ養殖 ― 2000年代の試練

環境の海に揺らぐ岡山のノリ養殖 ― 2000年代の試練

2000年代に入ると、岡山県沿岸のノリ養殖は大きな打撃を受けることになった。冬でも海水温が下がりきらない年が続き、ノリの成長は鈍り、品質も低下した。色落ちや病害の頻発は漁師たちを悩ませ、地元経済にまで影を落とした。さらに、長年続いた瀬戸内海の総量規制と下水整備によって富栄養化は抑えられたものの、その副作用として窒素やリンが不足し、ノリの育成に必要な栄養塩が枯渇してしまった。環境を守る政策が、皮肉にも漁場の生産力を奪う結果となったのである。

この時代背景には、世界的な気候変動の進行がある。2005年には京都議定書が発効し、2007年にはIPCC第4次報告書が公表され、地球温暖化がもたらすリスクが社会に広く認識され始めた。岡山の浜は、燃油価格の高騰や海外産との価格競争といった経済的な逆風にもさらされ、まさに二重の試練に直面していた。漁師たちはその中で、日々の漁場管理に工夫を凝らしながら必死に立ち向かっていた。

当時導入された技術は、監視と予測の精度を高めることから始まった。沿岸における水温や塩分、栄養塩の定点観測が行われ、衛星画像を用いたリモートセンシングによって海域の状況が把握された。赤潮や貧酸素の兆候を早期に察知し、摘採や網の管理を前倒しする判断が共有されるようになった。養殖の現場では、網を昇降させて表層の高水温を避けたり、潮通しの良い沖合へ漁場を移設したりと、柔軟な対応が取られた。また、網の洗浄回数を増やして付着生物を防ぎ、光合成効率を確保する工夫も重ねられた。

さらに、栄養塩不足への対応としては、液体肥料を散布して窒素を補給する方法が試みられた。ただし、過剰な施肥は環境悪化を招くため、慎重なルールの下で点的かつ少量の補給が行われた。河川の水門や堰の運用を見直し、流入水のタイミングを調整して栄養を届ける試みも行われた。高水温や病害に強い系統のノリが選抜され、網材の改良によって頻繁な作業に耐えられる設備が導入されたのもこの頃である。そして、漁業者は品質を守るために加工や衛生管理を高度化し、たとえ収穫量が減っても市場での価値を落とさぬよう努力した。

岡山特有の事情もあった。内湾の地形は通水が弱く、海水が滞留することで高水温や低栄養が長引き、付着生物が増える傾向にあった。河川流入は栄養塩をもたらす一方で、濁りや急激な塩分変動をも引き起こし、扱いには細心の注意が必要だった。港湾や観光、環境保全といった他の産業や政策目標とも折り合いをつけねばならず、漁業だけの論理で動くことは許されなかった。

この時代の教訓は、単一の手段では気候変動の揺らぎに対応できないということである。ノリ養殖における栄養塩管理は、減らすのでも増やすのでもなく、最適なバランスを維持することが核心となった。観測によって状況を可視化し、週単位で判断を更新し、作期や深さを調整していく。そこに施肥や河川流入の管理を組み合わせ、行政・研究者・漁業者が一体となって危機に向き合う必要があったのである。

岡山のノリ養殖を襲ったこの苦境は、気候変動と人間の環境政策が交錯するなかで、一次産業が直面する複雑な現実を示す象徴的な出来事であった。温暖化の進行と貧栄養化の影響は、単なる地域の漁業問題にとどまらず、自然と人間の営みの調和をどう築くかという普遍的な問いを突きつけたのである。

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