見えぬ終着点 福島廃炉の迷路 2018〜2019年
2018年から2019年にかけて、福島第一原発事故からまだ十年にも満たない時期、廃炉という言葉は政府や東電の説明において象徴的に用いられていた。震災直後の混乱期は過ぎ、瓦礫の撤去や放射線量の低減により、敷地は外見上整理された姿を見せていた。海外からの視察団が「もっと危険な現場を想像していたが、予想に反して清潔で安全だ」と感想を漏らす光景も見られた。しかし、その整然とした景色の裏で、燃料デブリの位置すら正確に把握できず、取り出しの具体策も決まらぬまま「着実に進んでいる」という言葉が繰り返されていた。著者が感じた違和感の源は、まさにこの見た目の整備と実際の進捗の混同にあった。
当時、東電と政府は「廃炉完了まで最長40年」というロードマップを掲げていた。この数字は国民に復興の方向性を示す旗印のように扱われてきたが、現場の広報担当者は視察時の質疑で「廃炉完了とは何かは決まっていません」と答えた。ゴールを定義しないまま期限だけを示す、その構図は専門家や国会議員の間でも批判されていた。さらに2019年には、事故を起こしていない福島第二原発の廃炉が「44年」と発表され、事故炉より長い計画期間が設定された。この数字の逆転は、現場を知る者ほど首をかしげるものであり、著者は「まやかしではないか」と感じざるを得なかった。
政治の舞台では、原発再稼働と廃炉をめぐる世論が鋭く分かれていた。川内や高浜といった再稼働炉がある一方で、全国各地で廃炉決定が進み、「再稼働か廃炉か」が立地自治体の首長選挙を左右していた。ただし、その「廃炉」が何を意味するのか――更地化なのか、安全管理のまま残置するのか――は、政策的に詰められていなかった。国際的にも同時期は「大廃炉時代」と呼ばれる潮流の中にあり、日本は廃炉予定炉数で世界第4位に位置していたが、完全更地化に至った例は少なく、燃料搬出や除染の行き先も見通せない状況が続いていた。
こうした時代背景の中で交わされた「廃炉完了は決まっていません」という一言は、単なる現場の曖昧な回答ではなかった。それは事故処理の終着点が共有されていないこと、政治的スローガンと現実がかけ離れていること、そして将来の負担が地元や国民に押し付けられる構造が温存されていることを、象徴的に示す瞬間であった。著者はこの違和感を胸に、後に国会議員や専門家と議論を重ね、廃炉の意味と制度の在り方を問い直していくことになる。
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