Thursday, August 28, 2025

2025年8月28日 ベルクソン「創造的進化」 全体の俯瞰

2025年8月28日 ベルクソン「創造的進化」 全体の俯瞰

えー、そうですね。創造的進化の話なんですけれども、ベルクソンの「創造的進化」の話です。全体の構成としては四章があり、第三章で一応の結論が出るんですよね。いろんな章は全体を振り返って、既存の哲学との比較や、既存の哲学が誤解していたところを検証する内容です。大きく二つに分けるとすると、一〜三章までが第一部、第四章が第二部という感じになります。

「創造的進化」と言っているので進化の過程を扱っているのですが、人間が先端にあるという立場は変わらない。ただ既存の人間至上主義と違うのは、進化の途中でいくつか分岐があったことです。アリストテレス的な「植物→動物→人間」という直線的な発展ではなく、それぞれ違う方向に分かれてきた、と言っているんですね。多くの分岐を経てきたのが人間であり、さらに進むためにはどうしたらよいかが第三章の最後に示されています。

そのクライマックスが「生命の過程の進化運動における本質的なものと偶然のもの」の対比です。端的に言うと、生命とは「エネルギーを蓄積して不確定に放出する存在」であり、これは地球以外にも生命があり得るという結論につながります。つまり、エネルギーの蓄積と放出という観点からすれば、銀河や星雲そのものも「生命的存在」と言えるのであって、地球が生命誕生の条件を備えたことも一種の偶然的過程にすぎないのです。

進化においては偶然の役割が大きいと繰り返し述べられています。機械論や目的論では説明できない部分があり、現代的に言えば「ランダムな要素」で構成されている。地球上の生命がこのような形態をとっているのも偶然性が強い。ここから、無機物と有機物の違いに話が進みます。無機物は機械論で説明できるが、有機物の形態変化はそう単純に説明できない。当時は確率やエントロピーといった数学的枠組みが未発達だったため、このような言い方になっています。

第二章では動物と植物の分岐を扱います。菌類の話も少ししているのですが、いずれにせよ末端では「これ以上分岐しない状態」に至っているとされます。動物と植物の違いは「意識の鮮明さ」。どれだけ「目覚めているか」が重要です。動物は神経系が発達し、動くことで感覚が鋭くなり、意識がよりはっきりと目覚めていく。

さらに人間の場合は「知性」と対立するものとして「直観」があり、記憶を自在に操り、物語を作ることができる。人間は道具や機械を作り、運動機構を外在化することで意識を解放する。この余裕を自己へ向け、知性と直観を結びつけることがさらなる進化に必要だと説かれます。

第三章では「本能と知性の分岐」を論じます。動物では本能と知性が混在しますが、人間は知性が強く分岐する。知性とは意識が「上昇と下降」を繰り返すなかで現れる秩序であり、下降では物質的秩序、上昇では芸術や音楽など創造的秩序が現れます。人間はその両方を経験するがゆえに孤独感を抱き、これを克服するには知性を直観の中に再び吸収する必要があるとされます。

この努力によって人類は孤立感から解放され、モラルや生きる力が高まる。これこそ「創造的進化」を哲学する最大の理由であると著者は言います。エントロピーや確率論のない時代に、ここまで知性の偏りを批判し体系を構築したのは驚異的です。

第四章では「なぜ進化を機械論や目的論で説明できるという錯覚が生じるのか」が論じられます。ここで「無」と「秩序」という概念が検討され、現代的に言えばエントロピーに近い考え方に到達しています。無秩序というものは究極的には存在せず、秩序は意識の運動の結果である。さらにプラトンやデカルト、スピノザらの哲学を批判的に検討し、知性と直観を結びつける方向を示します。

最終的にベルクソンは、現代文明が陥っている存在論的危機の根本原因を「知性の偏り」に見出し、生命・知性・人間を正しく理解することで克服できると説きます。

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