### 環境 土を守るか処分場か 中土佐町の廃棄物処理施設をめぐる攻防 二千年代前半から二千七年
高知県中土佐町で計画された廃棄物最終処分場は、水源に近い立地が不安を呼び、町の空気を二分した。住民は地下水汚染の恐れを口にし、説明会では声が上ずった。町は環境影響評価を行い安全性を説いたが、数式も専門用語も、井戸と田畑と暮らしを守りたいという日々の実感を溶かすには足りなかった。議会は賛否で割れ、地域の集会所には長く重い沈黙が落ちた。
時代は二千年代の入り口だった。循環型社会形成推進基本法が施行され、三つのエーアールが合言葉になった。都市はごみを減らしつつも、なお残る焼却灰や不燃残渣の置き場を求めた。過密な都市は受け入れを渋り、候補地は地価の低い山間と海辺に集まる。ダイオキシン問題や不法投棄への反省が法令を厳しくし、処分場にはより高い安全水準が求められたが、紙の上で高まる安全と、地面に暮らす人の不安は歩調が合わないままだった。
計画側が示した技術は当時の標準をなぞる。合成高分子の遮水シートとベントナイトを挟んだ複合遮水、二重ライナーと漏水検知層、集水管と集水トレンチ。降った雨を汚染水にしないための雨水外周排水。埋立ガスを逃がすガス抜き。法面を崩さないための安定計算と地震動の想定。浸出水は活性汚泥により有機物を下げ、硝化と脱窒で窒素を落とし、凝集沈殿や砂ろ過で濁りをとる。必要に応じて高度処理が追い打ちをかけ、放流水は基準を守る数字へ寄せられる。
だが山の地層は一枚岩ではない。割れ目は地図に描かれず、豪雨は記録を越えてやって来る。台風銀座と呼ばれる土佐の空は、計画書の余裕度を試す。技術はリスクを下げるがゼロにはしない。住民が問うのは数値の小ささではなく、もしもの後始末と責任の所在だ。誰が見張り、いつまで費用を負い、漏れが起きたらどこまで土を戻すのか。問いは技術の外側に広がっていく。
情報公開と合意形成という言葉が、行政の説明に添えられるようになったのもこの頃だ。代替案の比較、段階的な規模、運転を止める仕組み、第三者監視。紙のうえの約束を実効にするには、現場に足を運び、井戸を量り、季節の水を嗅ぎ分ける共同の目が要る。学識者の判子だけでは心は動かない。暮らしの言葉で語られた安全が、暮らしの側へ届くまでに時間がかかる。
中土佐町の葛藤は、日本の周辺部が担わされてきた受け皿の役割を照らした。雇用と交付金を求める声、景観と水を守る声。どちらにも暮らしが宿る。技術はその狭間で、できることの輪郭を丁寧に描き直す。日常の点検をどう仕組みに織り込むか。非常時の停止と撤去をどう資金で裏づけるか。終わりの設計という思想を、最初から据えることができるか。
やがて日本は再資源化の裾野を広げ、焼却灰の溶融や資源化、広域連携による処理の平準化に踏み出す。衛星とドローン、地中レーダー、化学センサー。監視と検知の技術は静かに進む。けれども最も古くて確かな技術は、地域の記憶に耳を澄ますことだ。昔どこに水が湧き、どこが崩れたのか。地名が教える土地の履歴を、図面の上に写し取ることだ。
中土佐町の処分場問題は、技術と社会が並んで歩く難しさを世に示した。遮水シートも、浸出水処理も、住民説明会も、それぞれは要だが一つでは足りない。安全を数字で語り、暮らしを物語で語り、両者の橋をかける。その橋の名を信頼という。二千年代前半から二千七年にかけてのこの争点は、今もなお日本各地で続く課題の原型であり、土と水の国で生きる術を問いかけ続けている。
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