雑司ヶ谷の若き文士たち―大正期文学青年交歓録(大正時代)
宇野浩二が早稲田大学英文学科に学んだ大正期の東京は、自然主義の影響が残る一方で、大正デモクラシーの自由で開放的な空気が流れていた。早稲田は全国から文学志望の青年を集める磁場であり、同時代の校内外には菊池寛、直木三十五、坪田譲治、谷崎精二ら、後に文壇を牽引する作家たちが肩を並べていた。彼らは文学観も作風も異なり、菊池寛が現実主義的な筆致で人間の弱さを描き、直木が大衆性と娯楽性を融合させたのに対し、宇野は人間心理の複雑な襞を緻密に掘り下げ、濃密な感情表現を得意とした。
宇野は雑司ヶ谷に家を借り、自炊生活を送りながら仲間を招き、縁側から往来を眺めつつ文学論を戦わせた。その場は単なる学生の寄り合いではなく、地方から集まった文学青年が互いの作品を批評し合い、創作の方向を模索する場でもあった。そこへ現れたのが既に名を成していた近松秋江である。彼はふらりと現れては四、五歩部屋を歩き回り、新聞を手にすると見出しだけを大声で読み上げ、誰にも目を合わせずに立ち去る。その奇行は、当時の文士たちの気まぐれさと存在感を象徴していた。
宇野の代表作『思ひ川』は、抑圧された感情と人間の孤独を濃やかに描き、大正から昭和初期にかけての人間関係の機微を見事に表現した作品である。さらに『蔵の中』では閉ざされた空間の中で揺れ動く心理を描き出し、内面描写の巧みさを決定づけた。これらの作品は、同時代作家が描いた外向きの社会的視点や娯楽性とは異なり、個の内面を凝視し続ける宇野文学の核を形づくった。
大正期の東京文壇は、カフェや下宿が交流の舞台となり、作家同士が日常的に顔を合わせては議論や奇行を重ねた。宇野が雑司ヶ谷で過ごした日々と近松秋江の印象的な振る舞いは、その時代特有の文学者たちの生態と空気感を如実に伝える一場面である。
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