Wednesday, August 20, 2025

### サイバー戦場の夜明け ― インフラを襲った影(二〇〇〇年代後半)

### サイバー戦場の夜明け ― インフラを襲った影(二〇〇〇年代後半)

二〇〇〇年代に入ると、社会を支える基盤は急速にデジタル化された。発電所や変電所では SCADA(監視制御・データ収集システム)が導入され、交通網や空港、上下水道施設もネットワーク越しに集中管理されるようになった。これらは効率化とコスト削減を可能にしたが、同時に外部からの侵入経路を生むことになった。従来、制御ネットワークは物理的に隔絶されていたが、遠隔監視や利便性向上のためインターネットに接続され始め、結果として「見えない戦場」が開かれてしまったのである。

その現実を突きつけたのが、二〇〇七年の エストニア大規模サイバー攻撃 であった。きっかけは旧ソ連兵士の記念碑移設をめぐるロシアとの政治摩擦だったが、発生した攻撃は単なる市民抗議ではなく、組織的な DDoS攻撃(分散型サービス妨害攻撃) であった。世界中のボットネット化されたPCが一斉にトラフィックを送り込み、政府機関や銀行、通信社のサーバーを麻痺させた。国民は公共サービスにアクセスできず、金融取引も滞るなど、国家機能そのものが揺さぶられる前例のない事態となった。

この事件は、従来「サイバー攻撃=個人ハッカーの悪戯」という認識を覆し、国家の安全保障に直結する新たな脅威として国際社会に衝撃を与えた。アメリカは直ちに USCYBERCOM(米サイバー軍) を設立し、NATOもタリンに 協同防衛センター(CCDCOE) を設置するなど、防衛戦略にサイバー領域を正式に組み込んだ。

また、この時期には ファイアウォールやIDS/IPS(侵入検知・防御システム) が急速に導入され、各国の重要インフラは防御の強化を迫られた。だが、制御機器の多くはセキュリティを想定せずに設計されており、単純な認証不備や既知の脆弱性を突かれるケースが多かった。こうした脆弱性が、後に「Stuxnet」によるイラン核施設攻撃を招く土壌となっていく。

エストニア事件は、物理的な国境を越えて無数のパケットが国家を攻撃できることを世界に示し、サイバー空間が新たな戦場であることを決定的に印象付けた。もはやサイバー攻撃は未来の可能性ではなく、現在進行する「戦争のもう一つの形態」として現実に組み込まれていったのである。

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