昇る意識と沈む知性 意識の運動と秩序の二重性 1900-2025
ベルクソンの哲学において、「意識の運動」は極めて重要な概念である。彼は意識の状態を上下の運動として捉え、上昇する意識は芸術や直感、創造性と結びつき、下降する意識は知性や物質の捉え方と結びつくと考えた。この視点に立てば、人間の精神活動は静的な構造ではなく、常に「運動の中」にある流動的なプロセスだといえる。
下降する意識は、世界を固定的・客観的に捉える。ものごとを分割し、分析し、関係を整理する。この働きが知性であり、近代科学や論理の基礎となっている。知性は物質の秩序をつかむが、そこでは時間の流れは切り捨てられる。ベルクソンにとって、この知性の働きは必要でありながらも、世界の全体性や流動性を見失いやすい危険を孕んでいる。
一方、上昇する意識は、分割や分析ではなく、直観的に全体を把握する力である。芸術的創造や宗教的体験、詩的直感はこの領域に属する。そこでは時間は流れとして現れ、生命や感情のリズムに沿って世界が経験される。ベルクソンは、この直感の働きを通じてのみ、生命の本質に近づくことができるとした。
このような意識の上下運動に伴って、秩序にも二種類あるとされる。下降する意識がもたらすのは、物質的で空間的な秩序——幾何学的配置や論理的構造である。一方、上昇する意識が生むのは、生命的で時間的な秩序——変化や成長、予期せぬ生成といった、動的な秩序である。前者が科学や制度に反映され、後者が芸術や倫理に現れる。
ベルクソンは、現代社会が下降の秩序=知性に偏りすぎ、上昇の秩序=直感を見失っていることに警鐘を鳴らす。人間の意識が本来持っていた「往復運動」が遮断され、秩序が一面的に硬直してしまっている。だからこそ、私たちは再び意識の運動性を取り戻し、直感と知性が相互に循環する「生きた思考」を回復する必要があると彼は訴える。
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