Sunday, October 19, 2025

現実を見据える眼―1930〜1970年代、石川達三が描いた日本社会の倫理と変貌(1930〜1970年代)

現実を見据える眼―1930〜1970年代、石川達三が描いた日本社会の倫理と変貌(1930〜1970年代)

石川達三は、戦前・戦中・戦後のすべてを横断しながら、人間の「良心」と社会の矛盾を凝視したリアリズム作家である。1930年にブラジル移民の実態取材へ赴き、その成果をもとに『蒼氓』(1935)で第1回芥川賞を受賞。国家の理想やスローガンではなく、移民として生きる個人の現実と尊厳を描いたこの作品が、以後の長い作家人生の倫理的軸を定めた。

戦前には、従軍記から転じて戦争の暴力と人間の脆さを露わにした『生きてゐる兵隊』(1938)が発禁となるなど、体制と緊張関係を保ちつつ「真実を書く」姿勢を貫いた。敗戦直後には、戦争と占領をまたぐ家族史を描いた『風にそよぐ葦』(1950–51)で、国家の激動を個の視点に引き寄せ、戦中派の記憶と倫理の再点検を促した。

高度成長の只中にあたる1960年代、石川は経済繁栄の陰に潜む政治腐敗と組織犯罪に光を当てる。九頭竜川ダム汚職事件をモデルにした長編『金環蝕』(1966)は、政・官・財の癒着を剥ぎ出し、「外側は金色に輝くが中は真っ黒」という表題の比喩で、虚飾に覆われた日本社会の病巣を射抜いた。作品は1975年に山本薩夫監督で映画化され、社会派小説の金字塔として定着した。

一連の社会派作品群に並んで、『青春の蹉跌』(1968)は拝金主義と出世欲に呑まれる若者の転落を描き、戦後の豊かさがもたらす倫理の空洞化を告発。のちに映画化もされ、世代的な"成功神話"の裏側を可視化した。

石川の軌跡は、ブラジル移民から戦中の検閲、復興と高度成長、そして汚職告発へ――日本社会の変貌と並走しながら、常に「人は社会の中でどう生きるべきか」を問い続けた歩みだった。『人間の壁』『金環蝕』『青春の蹉跌』など、流行語になるほどの問題作を世に送り出し、昭和文学を"社会の記録装置"に変えた。石川達三の文学は、経済成長に酔う時代にあって、良心と真実の灯を掲げた長い警鐘であった。

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