Sunday, October 26, 2025

殴る英雄――力道山と戦後ニッポンの「力」の欲望(1950年代〜1960年代)

殴る英雄――力道山と戦後ニッポンの「力」の欲望(1950年代〜1960年代)

敗戦後の混乱期を経て、日本がようやく経済復興へと歩み出した1950年代、国民は「新しい英雄」を強く求めていた。焼け野原となった都市、食糧難、占領軍の存在、そして国家的自信の喪失。そんな社会に突如として現れたのが、空手チョップ一閃で敵をなぎ倒すプロレスラー・力道山である。
彼は元力士というバックボーンを持ちながら、テレビ草創期の電波に乗り、アメリカ人レスラーとの対決を「国民的イベント」に変えていった。テレビが各家庭に普及し始めたこの時代、力道山のプロレス中継は高視聴率を誇り、街頭テレビの前には人だかりができた。リングの上で「殴る日本人」として暴れる彼の姿は、多くの国民にとって敗戦の鬱屈を晴らす「代弁的暴力」として機能した。
一方で、その暴力性は常に倫理的な問いと隣り合わせであり、「正義の暴力」はどこまで許容されるのかという議論を生む土壌にもなった。梶原一騎が脚本を手がけた力道山の実録映画でも、この点は象徴的に描かれ、暴力の美学と道徳的葛藤が絡み合う「戦後型ヒーロー」の原型として力道山が位置づけられていた。
また、当時のメディア産業も、力道山の人気を通じて成長していく。テレビとプロレスが一体化し、「娯楽の民主化」「家庭の共有時間」といった概念を押し広げた。すなわち、力道山とは戦後メディア史の象徴でもあり、暴力・英雄・映像という三位一体の文化装置であったとも言える。
その死(1963年)は暴漢に刺されての突然のものであったが、その劇的な最期もまた、神話としての「力道山」を完結させる一幕となった。のちに彼の系譜はアントニオ猪木やジャイアント馬場へと受け継がれ、昭和のプロレス文化の根幹を形成していくことになる。

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