税の不公平をめぐる作家と官僚の会話 1970年代前後
この一幕は、戦後から高度経済成長を経て1970年代に至る社会の空気をよく映しています。当時、日本は高度成長によって経済大国へと駆け上がったものの、都市への人口集中、公害問題、石油危機によるインフレなど、庶民の生活は決して安定していませんでした。社会の格差や税負担の不均衡がしばしば話題になり、「庶民は重税に苦しむ一方、大企業や資産家は優遇されているのではないか」という不満が世論に広がっていました。
そのような背景のもと、テレビ討論番組に登場した大蔵省(現・財務省)の官僚は、「国として文盲を一掃するために多額の投資をしているのです」と誇らしげに語りました。確かに戦後日本は教育普及に巨額の予算を投じ、1950年代から70年代にかけて識字率は世界最高水準に達していました。官僚はその成果を自慢しつつ、裏の意図として「だからこそ庶民は学び、働き、生活ができるのだ。文句を言わずに税金を払え」という姿勢を示していたのです。
作家たちはこの発言に強い違和感を抱きました。庶民の生活実感はむしろ逆で、物価上昇や住宅難に苦しみ、教育費や医療費の負担に追われていたからです。文学者たちは「官僚の論理」は民衆の苦悩を理解せず、上からの恩恵として語るに過ぎないと批判しました。彼らはまた、庶民が文化や娯楽を通じて心の自由や慰めを得てきた歴史を想起し、文学こそが人々の「もう一つの生活基盤」であると強調したのです。
この対話は単なる官僚と作家の意見の衝突ではなく、国家の論理と個々人の生活感情の齟齬を浮き彫りにしました。国は「投資」として教育や社会基盤を語り、それを理由に税負担を正当化しましたが、作家たちは「生活苦の現実」と「精神文化の必要」を対置し、人間の幸福は国家の計算だけで測れるものではないと論じたのです。
この議論は、戦後民主主義が抱える矛盾を象徴するものでした。国家は経済成長と近代化を進める一方で、庶民は重税や生活不安に直面し、作家たちはそのはざまで「文学の役割」を再定義しようとしたのです。つまり、この会話は単なる税制批判にとどまらず、国家と庶民、官僚制と文化人との根源的な対話として記憶されています。
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