金嬉老事件(きんきろうじけん)―報道と差別のはざまで・昭和四十三年二月
昭和四十三年二月、静岡県寸又峡の温泉旅館「ふじみ屋」で在日朝鮮人の金嬉老が猟銃を持ち、人質を取って立てこもった。この事件は、戦後日本社会に潜む差別意識を白日の下にさらした出来事として社会に衝撃を与えた。金は「朝鮮人であるがゆえに不当に扱われた」と訴え、報道陣を呼び寄せて自らの境遇を語った。連日テレビと新聞が事件を中継し、世論は"犯罪者"と"告発者"の間で揺れ動いた。経済成長の裏で、在日差別が依然として残る日本社会の歪みが露わになったのである。事件は八日間の末に終結したが、警察の対応と報道の過熱が問題視され、メディアの責任を問う議論を巻き起こした。以後、警察は狙撃専門部隊「フィフル射撃班」を設け、立てこもり対応の転換点となる。一方で作家や映画人にも影響を
与え、在日問題を正面から描く契機となった。金嬉老の叫びは、差別と正義の境界を問う戦後日本の「良心の試練」として、今もなお語り継がれている。
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