Wednesday, February 18, 2026

水の底から忍び寄る青い影 東京と横浜 1858年から1900年

水の底から忍び寄る青い影 東京と横浜 1858年から1900年

コレラと衛生の歴史は、ごみ問題が単なる景観や臭気の問題ではなく、公衆衛生政策の核心にあったことを示している。一八五八年の安政の大流行では、江戸を中心に多数の死者が出たとされ、都市は目に見えない脅威に包まれた。コレラは汚染された水や食物を介して感染するため、井戸や水路、排水の管理が不十分な環境では急速に拡大する。町に堆積したごみや汚物が水源へ近づけば、病は日常の隙間から広がっていく。

明治期にも流行は断続的に続き、横浜や東京では検疫制度や消毒所の整備が進められた。港湾都市では外来感染症への警戒が高まり、水道の近代化や下水道の整備が急がれた。一八九八年に東京で近代水道が給水を開始し、二十世紀初頭に普及が進むと、大規模流行は次第に抑えられていく。感染症対策は医療だけでなく、都市インフラの改革と結びついていた。

一九〇〇年施行の汚物掃除法は、その転換点である。感染症流行を背景に、ごみや汚物の処理は自治体の責務とされ、焼却処理の推進が制度として位置づけられた。清潔は個人の努力ではなく、制度と設備によって支えられるべきものと理解されたのである。

ごみが水路へ流れ、腐敗が進み、害虫が媒介する。その連鎖を断ち切ることが都市の課題となった。コレラの歴史は、衛生的なごみ処理が景観対策ではなく、命を守る都市基盤であることを、静かに語り続けている。

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