水の底から忍び寄る青い影 東京と横浜 1858年から1900年
コレラと衛生の歴史は、ごみ問題が単なる景観や臭気の迷惑にとどまらず、公衆衛生政策の中心課題であったことを示しています。コレラは汚染された水や食物を介して広がる感染症であり、安全な飲料水や適切な汚物処理が欠けた環境では急速に拡大しました。町の水回りが脆弱で、ごみや汚物の処理が不十分であれば、病気は生活空間へ入り込みやすくなります。衛生的なごみ処理は、感染症対策そのものでもあったのです。
日本では一八五八年の安政の大流行をはじめ、明治期にもコレラの流行が繰り返されました。港湾都市である横浜や東京では、検疫や消毒体制の整備が進められ、水道改革や衛生行政の強化が図られました。飲料水の改善や下水整備が進むにつれて大規模流行は次第に収束し、都市衛生は制度として確立していきます。
明治三十三年に施行された汚物掃除法は、感染症流行を背景に成立し、清掃事業を自治体の責務として位置づけました。焼却処理を進める方針が明確化され、ごみと汚物の管理は公共政策へと組み込まれます。感染症の恐怖は、町の清潔さを道徳ではなく制度として整備する契機となりました。
ごみが水路へ流れ込み、腐敗が進み、害虫が媒介する。その連鎖は、都市の構造そのものに潜む弱点でした。コレラの歴史は、衛生的なごみ処理が景観対策ではなく命を守る都市基盤であることを、静かに語り続けています。
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