「堺・臨海部に描いた"環境共生"の青写真」―2002年前後の視点から
2002年前後の日本は、バブル崩壊後の長期不況や産業空洞化が課題となり、地域ごとに競争力を再設計する動きが強まっていた。構造改革特区は規制緩和を通じて地域再生を図る制度として注目され、その中で大阪府堺市臨海部は「環境共生・創造特区」として構想された。港湾に隣接する低未利用地を活用し、環境産業や研究機関の集積を進めることで、地域に新たな役割を与えようとしたのである。
具体的には、工場用地の緑地規制の緩和、公有水面埋立地の用途変更手続きの簡素化、港湾地域における土地利用や廃棄物処理に関する規制特例などを導入し、投資や立地の障壁を下げた。これにより、製造、処理、研究が近接して機能する「エコロジカル・コンプレックス」を形成し、循環型社会の実践拠点として臨海部を再生する狙いが込められていた。
当時の堺湾岸は、高度成長期に造成された臨海工業地帯が更新期を迎え、再編が求められていた。特区構想は単なる工業港の延長ではなく、研究(R)、生産(P)、資源循環(C)を統合し、環境と産業を融合させる新たな地域モデルを提示した点に特徴がある。堺市臨海部の取り組みは、低炭素化や資源循環が本格化する以前に先取り的に描かれた実験的戦略であり、全国的にも注目を集めたのである。
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