Saturday, March 1, 2025

週刊誌という名の光と影——1970年代の読売筆禍事件の記憶

週刊誌という名の光と影——1970年代の読売筆禍事件の記憶

1970年代、日本は高度経済成長の絶頂期を迎え、社会全体が変化の波に乗っていた。人々の生活は豊かになり、テレビや週刊誌といったメディアが一層身近なものとなった。しかし、その一方で、ジャーナリズムの在り方が問われる場面も増えていった。特に「週刊読売筆禍事件」は、その象徴的な出来事のひとつだった。

この事件をめぐる議論の中で、証人として登場したのは矢崎泰久、磯村尚徳、そして『潮』取材班の岩川隆である。彼らは、それぞれの視点から、週刊誌の役割や報道の自由、そして商業主義の問題点を語った。矢崎泰久は、「60年代の終わり、ジャーナリズムは新たな時代を照らし出す光のようだった」と振り返る。しかし、その光は、やがて商業主義の波に飲み込まれ、風化してしまったという。「週刊誌は真実を伝えるための場であるはずが、広告主の顔色をうかがいながら記事を書くようになった。そして、今回の事件をきっかけに、編集部は『訴訟リスク』という重圧を常に意識せざるを得なくなった」と彼は語る。

磯村尚徳もまた、メディアの変遷を目の当たりにしてきた一人である。彼は、「新聞と週刊誌の立場は常に異なっていた。新聞は公正報道を目指す一方で、週刊誌はセンセーショナルな記事を求められる宿命にあった」と述懐する。さらに、「週刊誌の記事が社会に大きな影響を与えたのは事実だが、今は訴訟リスクを考えすぎるあまり、かえって報道の自由が狭まってしまっている。報道とは誰のためにあるのかを、改めて考え直すべきではないか」と疑問を投げかける。

『潮』取材班の岩川隆も、この事件を単なる名誉毀損問題として片付けることに強い違和感を抱いていた。「この事件は、メディアの自律性が試される問題であり、ジャーナリズム全体の在り方を問うものだった。週刊誌は果たして、本当に『社会の木鐸』としての役割を果たしているのか」と彼は指摘する。また、週刊誌が持つ影響力に対して、政治家たちがどのように対応するのかにも注意が向けられた。「報道の力を恐れた政治家たちが、今後メディア統制に動く可能性も否定できない」と岩川は警鐘を鳴らした。

週刊読売筆禍事件は、ジャーナリズムの在り方だけでなく、メディアと社会の関係性をも浮き彫りにした。この事件を境に、週刊誌の世界には大きな変化が生じた。訴訟を恐れるあまり、編集部は攻めた記事を避けるようになり、記者たちは独自取材よりも記者クラブを通じた「安全な情報」に依存するようになった。その結果、週刊誌は「売れること」を最優先とし、社会問題よりもゴシップやスキャンダルに重点を置くようになった。そして、田中角栄政権以降、政治家とメディアの関係が密接になる中で、「政府と戦うジャーナリズム」は次第に衰退し、大衆迎合型の報道が主流となっていった。

この事件に関する議論の中で浮かび上がるのは、「報道の自由と商業主義のせめぎ合い」というテーマである。かつては権力を監視する役割を果たしていた週刊誌も、1970年代には次第に商業主義に絡め取られていった。記者たちは、何をどこまで書くべきなのか、常に自己検閲をしなければならなくなった。だが、それは本当に読者のためになっているのか。報道とは、真実を伝えるための手段であったはずだ。しかし、その真実は、商業的な成功の前に押し流されてしまったのではないか。

週刊誌が権力の監視役として機能するには、何が必要なのか。その答えを見つけるためには、今一度、「ジャーナリズムとは何か」という原点に立ち返る必要がある。週刊読売筆禍事件は、単なる一つのスキャンダルではなく、日本のメディアがどこへ向かうのかを考えさせる、重要な分岐点であった。

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