Wednesday, April 30, 2025

地中に息づく牙―狼舎と反表層の芸術精神(1970年代初頭)

地中に息づく牙―狼舎と反表層の芸術精神(1970年代初頭)
高田馬場・戸塚四丁目。かつての農村と住宅地の混ざる東京の周縁部に、1970年前後、小さな劇場が生まれた。名を「狼舎(ろうしゃ)」という。その名の通り、牙と警戒、そして孤独と執念を漂わせたこの空間は、地上ではなく地下に掘られた。そこは建築的にも、象徴的にも「表層では生きられない者たちの避難所」であった。

この狼舎を築いたのは、資本家でも都市計画者でもない。大学を出ていない、劇団をもたない、いわば「劇場にも、劇場を持つ資格のない人々」だった。彼らは金があるから建てたのではなく、「信義のために穴を掘った」と語る。その言葉に、1970年前後の文化的風土がにじみ出る。

背景1:アングラ演劇と「制度」への異議申し立て
1960年代末から70年代初頭、日本の舞台芸術は転換期を迎えていた。文学座や俳優座といった新劇の体制が次第に硬直化する一方で、寺山修司の「天井桟敷」、唐十郎の「状況劇場」などが、赤テントや移動式舞台で都市を回遊し、劇場の外で演劇を生み出す運動を広げていた。

これらは「アングラ演劇(アンダーグラウンド演劇)」と呼ばれ、暴力的、性的、神話的な身体表現と、日常への違和感をむき出しにする作風で観客を惹きつけた。「劇場に属さない」「制度に与しない」「国家に演じない」そうした理念が地下・テント・路地という新たな舞台空間を生み出していった。

背景2:学生運動の終息と「逃げ場」の文化
1968年から69年にかけて燃え上がった学生運動は、70年安保闘争の失速とともにしだいに衰えを見せる。街頭デモから撤退し、大学自治会が解体されるなかで、若者たちは政治の「外」に新たな場所を求め始める。それが、音楽・演劇・マンガ・自主映画といった「表現の場」であった。

その中でも、「地下」という場所は、反抗の物理的・心理的象徴として強い意味を帯びていた。地上=表の社会=国家・法・秩序、に対して、地下=異端・逃走・本能。狼舎が"穴を掘って作られた劇場"だったという事実は、単なる建築上の選択ではなく、時代への直感的な批評だったのである。

狼舎の象徴性:牙を持った空間
劇場の名前「狼舎」には、「人を噛む覚悟」が込められていた。そこに込められていたのは、観客に媚びず、メディアに迎合せず、芸術を信じ切る者たちの「獣性」だった。作った男は言う、「芝居への情熱で作ったんじゃない、裏切れなかっただけだ」と。

この言葉には、当時の若者たちの不器用な誠実さ、そして都市の片隅でしか呼吸できなかった芸術の実相が現れている。狼舎とは、アートのための施設ではなく、信義と魂のための穴蔵だった。

地下という空間:沈黙・記憶・共鳴
夜、劇が終わり、照明が消えたあと、男はただひとり舞台に立つ。沈黙の中に、「遠い昔の狼の胸騒ぎ」が聞こえてくるという。これは原始的な本能の記憶であり、制度以前の"叫び"である。地中の劇場とは、文明の屋根の下では発することのできない声を響かせる共鳴空間だったのだ。

このようにして、「狼舎」という地下劇場の誕生は、1970年代初頭の日本社会の裂け目に生まれた文化的回答だった。経済成長と管理社会が支配する地上に対し、地の底から牙を磨き、目を光らせる者たちが確かにいた。そして彼らが掘った"穴"は、今なお日本の芸術精神の地下水脈として、密やかに流れ続けている。

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