Wednesday, April 30, 2025

斜めの庵にて――永六輔と戦後七十年

斜めの庵にて――永六輔と戦後七十年

1929年、浅草の寺に生まれた永六輔は、関東大震災の爪痕と昭和の胎動のただなかに育った。寺町の空気は大衆芸能と宗教が雑居する、独特の湿り気と熱気に満ちていた。父は住職。だが永は、その内側に安住することなく、社会を常に斜めから眺める目を磨いていく。

戦後の瓦礫の中から立ち上がった彼は、大学に進み、詩人エロシェンコ、高津正道らと交わりつつ、運動家にもならず学者にもならず、放送という「声の表現」を手に取った。高度経済成長のなかで人々が豊かさに目を眩ませる時代、永は庶民の言葉をすくい、笑いと風刺に変えて発信し続けた。

「理由もなく権力が気にくわない」——それは、浅草の路地に流れる気風だった。ベトナム戦争反対、反原発、市民運動への共感は、宗教者の衣の内からではなく、あくまで傍らからの声だった。永六輔は、戦後七十年の風景を、地べたと放送塔のあいだで静かに照らし続けたのである。

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