返して――昭和の校舎にひそむもの(昭和40年代前半)
昭和40年代前半、日本は高度経済成長のただ中にあり、都市化とともに校舎のコンクリート化が進みつつあった。しかし、地方の学校にはまだ木造の旧校舎が数多く残っていた。床は軋み、壁はしみだらけ、冬は隙間風が吹き込み、夏は熱気が籠もる。とくに"3階の女子トイレ"は、どの学校にも決まって一つは「出る」と噂される場所だった。
あれは秋の終わり、放課後の教室。誰かが言い出した。
「なあ、お前、あのトイレ入ったことあるか?」
「どの?」
「旧校舎の3階の左端、あの女子トイレだよ」
「女子トイレ? なんで男のおれたちが入んだよ」
「ちがうよ。あそこな、夜になると"返して"って声がするんだって」
「返す? 何を返すんだよ」
「さあ……生きてた頃の……なにかじゃねえのか」
誰かが、ふっと笑いをこらえながら言った。「お前さ、そういうのマジで信じてんのかよ」
しかし、誰も「信じない」とは言わなかった。
戦後すぐに建てられた木造校舎のなかには、かつて病院や軍の施設だった建物を流用したものも多かった。とくに地方の中学校では、トイレが「異界」扱いされていた。男子が滅多に入れない場所、しかも"女子"という異性の存在が日常と切り離されていた時代だからこそ、彼らにとって女子トイレは、未知と禁忌の象徴だった。
そして、「返して」という一言には、明確な対象は示されていない。それがかえって想像を呼び、亡霊の悔いや未練をにおわせる。もしかしたら戦争で失ったものかもしれない。あるいは、満たされぬ愛情か。
戦後20年が経ち、経済は上向きになっても、まだ戦争の影は至るところに残っていた。教師の中には元兵士もいたし、校舎の隅々には、敗戦国の貧しさが染み込んでいた。その中で育つ子どもたちは、テレビも冷蔵庫もある新しい時代を迎えながらも、ふとした瞬間に、古びた木の匂いの中で、得体のしれない"過去"と遭遇するのだった。
このような"都市伝説"は、そんな戦後日本の子どもたちの無意識に生まれた「記憶の亡霊」と言えるだろう。女子トイレという閉ざされた空間、誰も入ってはならない場所に現れる"声"。それは単なる怖い話ではなく、異性への憧れ、死への想像、そして語りの共同体としての子どもたちの文化の結晶だった。
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