環境 廃棄物との格闘 ― 最終処分量減少が示す転換点 1996年度
1990年代の日本は、高度成長期以来の大量生産・大量消費・大量廃棄の構造を抱えながら、環境負荷低減と資源循環への転換を迫られていた。厚生省の調査によれば、1996年度の産業廃棄物総量は約4億500万トンに達したが、そのうち約37%がリサイクルに回され、最終処分量は6800万トンと1991年度の9100万トンから確実に減少していた。これは、各自治体や企業による努力が徐々に成果を見せ始めたことを意味する。
排出物の内訳を見ると、汚泥、ふん尿、建設廃材の3種が全体の8割を占め、特に建設副産物の扱いは社会的課題となっていた。当時は都市再開発や公共事業が盛んで、大量の建設廃材が発生していたが、再資源化を促す制度や技術が少しずつ整い始めた時期でもある。また、下水道普及に伴う汚泥の増加は深刻だったが、堆肥化や建材利用の技術が模索されていた。
この背景には、1990年代初頭から進められた環境基本法やリサイクル関連法の整備がある。1991年の再生資源利用促進法(リサイクル法)を皮切りに、1995年には容器包装リサイクル法が制定され、市民参加型のリサイクル社会構築が始まった。さらに、環境意識の高まりと国際的な地球環境会議の影響もあり、廃棄物処理は単なる「処分」から「循環資源」として再利用する方向へとシフトしていった。
1996年度の数値に表れた最終処分量の減少は、循環型社会への移行が現実の政策成果として見え始めた象徴的なデータであった。それは、従来型の「埋立て依存」から「資源循環」への歴史的な転換点を示しているといえる。
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