環境 名古屋市「ごみ非常事態宣言」 ― 危機から始まる市民参加と技術革新 1999年
1990年代末、日本の都市部は深刻な廃棄物危機に直面していた。名古屋市では市内3カ所の最終処分場が残余年数わずか2年と推定され、「都市がごみに埋もれる」という現実的な危機感が広がった。高度経済成長期から続く大量消費の構造と、埋立地確保の困難さが背景にあり、行政は抜本的な対策を迫られていた。
そこで名古屋市は「ごみ非常事態宣言」を発令し、資源ごみの分別徹底を市民・事業者に強く呼びかけた。この宣言は行政主導だけではなく、市民参加を制度的に促す契機となった点で画期的であった。1週間の調査で市収集ごみは前年比5.1%減、事業者持ち込みごみは15.91%減と、全体で約8.7%の削減が達成され、即効性のある成果が確認された。
この取り組みを支えたのは、同時期に進展していた関連技術の存在である。まず、容器包装リサイクル法(1995年施行)を受けて普及した分別収集システムが基盤となり、PETボトルや缶、紙パックなどの資源循環ルートが整備され始めていた。また、破砕・選別設備や光学選別機、磁力選別機といったリサイクルプラント技術が導入され、ごみを資源に変換する効率が飛躍的に高まった。
さらに、コンポスト化施設やバイオガス化装置による生ごみ処理技術も実用化され、家庭や事業所から排出される有機性廃棄物を肥料やエネルギー源に変える取り組みが始まっていた。加えて、事業系廃棄物に関しては、製造業や小売業が自主的にリターナブル容器や簡易包装を採用し、排出抑制の工夫を進めていた。
このように「ごみ非常事態宣言」は、市民の意識改革と最新のリサイクル・処理技術の普及が結びついた事例であり、危機を契機に社会全体の行動変容を促した点に大きな意義がある。名古屋市の経験は、都市が抱える環境課題に対し、制度・市民参加・技術革新を統合して対応するモデルケースとして後の循環型社会政策の礎となった。
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