Saturday, August 16, 2025

環境

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湿原をほどく時—釧路湿原再生の軌跡(2007年2月〜2011年3月 環境)

1970年代までの釧路湿原は、洪水防御と土地利用拡大を目的に河川直線化(捷水路・新水路)が段階的に進み、氾濫原の水位低下や湿原の乾燥化が進行しました。国の資料によれば、釧路川本川や支川で1920年代〜1980年代にかけてショートカットが実施され、旧河道は河跡湖として残る一方で、生態系・景観は大きく変容しました。

1990年代に入ると自然保護・再生の潮目が変わります。1987年の釧路湿原国立公園指定、そして1993年に釧路市でラムサール条約締約国会議(COP5)が開催され、湿原保全の国際的意義が国内外に広く共有されました。さらに1997年の河川法改正で「河川環境の整備・保全」が明記され、1999年に「釧路湿原の河川環境保全に関する検討委員会」が発足—流域一体での自然再生へ政策の舵が切られます。

技術面の要は旧川復元(蛇行復元)です。国土交通省は直線化区間を可能な範囲で元の蛇行に戻す方針を打ち出し、本川の茅沼地区(約2km)を試験実施地として位置づけました。併せて幌呂川・雪裡川・ヌマオロ川・オソベツ川など支川でも、5年程度を目安に蛇行形状へ復元する段取りが示されています。狙いは、洪水時の氾濫頻度を適正化して氾濫原の植生を回復し、栄養塩や土砂の下流流出を抑えつつ、魚類・水生昆虫の生息場と湿原景観を取り戻すことでした。

実施スキームも特徴的です。釧路湿原自然再生協議会の下、国(北海道開発局 釧路開発建設部)・自治体・研究機関・住民が役割分担し、例えばヌマオロ地区の復元は協議会の計画に基づいて進められました。工学だけでなく、生態・景観・農地影響の事前予測を重ね、堤防の部分的な低下や旧排水路の閉塞、ワンド・浅瀬の創出など、微地形スケールの手当てを積み合わせていくのが釧路流です。

市民参加も当時から大きな柱でした。釧路国際ウェットランドセンター(KIWC)は蛇行復元区間と周辺で市民とともに水生生物・植生・堆積土・景観を繰り返し調査し、直線化の影響や復元後の変化を可視化。学校の学習や観察会と連動させ、保全を地域の誇りと学びに接続していきます。

時代背景としては、地球規模の湿地損失への危機感、国内では公害克服を経て自然再生へ舵を切る政策転換、そして観光も"見る"から"学ぶ・関わる"へと価値観が変わったことが挙げられます。象徴的なのが2007年2月〜2011年3月の本格的な蛇行復元プロジェクトで、生態・治水・水質・景観の4目標を掲げて効果検証が進められました。復元河道での氾濫頻度増による氾濫原植生の回復、水生生物のハビタット改善、栄養塩・土砂の捕捉による下流湿原負荷の軽減といった成果が報告されています。

要するに、釧路の再生は直線をほどき、時間を湿原に戻す取り組みでした。制度(国立公園・ラムサール・河川法改正)で方向を定め、工学と生態学を接続した蛇行復元で水と土の循環を回復し、市民のモニタリングと学びで恒常的な支えを得る。こうして湿原は景観資産であると同時に、治水・水質・生物多様性を束ねるインフラとして再評価されていったのです。

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