Wednesday, October 1, 2025

神農道と信仰の結びつき―戦後社会と高度成長期の縁日の光景

神農道と信仰の結びつき―戦後社会と高度成長期の縁日の光景

テキヤの世界には「神農道」という独自の言葉があった。それは稼業に専念し、掟と信義を守り抜くことを意味し、その実践者を「神農」と呼んだ。ここで言う神農とは、古代中国の伝説上の帝王・神農氏を源流とし、医薬・農耕・交易の祖とされた存在である。日本に渡ると、行商や薬売り、そして露天商を営む人々に受け継がれ、やがてテキヤの精神的支柱として「神農信仰」に昇華した。戦後の混乱期、闇市で露店を営む者にとって、単なる商売以上の意義を与えるものが神農道であった。

この信仰は単なる祭礼的儀式にとどまらず、共同体を維持する規範として機能した。親分子分の関係は血縁を超えて「家族」と見なされ、共存共栄を目指す大同団結の理想が強調された。義理や信義を重んじる姿勢は、戦後の社会不安や法制度の未整備を背景に、組織内秩序を保つうえで不可欠であった。高度成長期に入り、都市化と消費ブームで縁日や祭礼が盛んになると、神農を祀る祭りや儀礼は、テキヤ社会を文化的・宗教的に正当化する重要な役割を担った。

神農信仰はまた、テキヤの存在を「単なる露天商」から一段高める働きを持っていた。例えば、大阪の少彦名神社(神農さん)では薬業とともに商売繁盛を祈る信仰が根付いており、露天商も同じ文脈で加護を求めた。商いと信仰が不可分である点は、企業社会が就業規範や社訓で社員を縛ったのと対照的に、テキヤは宗教的規範と家族的忠誠で人をつなぎとめたといえる。

やがて暴力団排除条例の施行によってテキヤの活動は制約を受けるが、地域の祭礼や縁日の中には神農信仰の名残が残り続ける。戦後から高度成長期を経て、神農道は「掟と信義を守り、共同体の中で共に生きる」というテキヤの理念を象徴し、その文化的基盤を支えたのである。

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