Wednesday, September 30, 2026

戦場の麦畑に残った声 火野葦平と麦と兵隊 1937年から1960年

火野葦平は1907年、福岡県若松に生まれ、本名を玉井勝則といいます。1937年、日中戦争への応召直前に書いた糞尿譚で芥川賞を受賞し、その知らせを戦地で受けました。翌1938年には、中国戦線での経験をもとに麦と兵隊を発表します。国立国会図書館の書誌でも、同作は1938年に改造社から刊行されたことが確認できます。 麦と兵隊は、軍の要請を受けて執筆された従軍記でありながら、故国を思い、死への恐怖を抱えながら生きる兵士の日常を描いた作品でもありました。大きな反響を呼び、火野は兵隊作家として一躍有名になります。 しかし敗戦後、火野は戦争協力をめぐって厳しい批判を受け、公職追放も経験しました。その後、花と龍や革命前後などを書き、自らの戦争体験と戦争責任を見つめ直していきます。資料の作家病理という視点から見ると、戦時下の名声と敗戦後の孤立という落差は、火野の後半生を考える重要な背景です。1960年1月24日に死去し、のちに遺族から自殺だったことが明らかにされました。

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