「沖山秀子 ― 夜の女たちとその後」―1945年から1971年・女性俳優の戦後史
1945年の敗戦から20年余、日本は焼け跡から奇跡の復興を遂げていた。経済成長は国土を変え、人々の暮らしを変えたが、女性の表現空間は依然として限られていた。そんななか、女優・沖山秀子は映画『夜の女たち』(1948年、溝口健二監督)に出演し、敗戦直後の売春婦を演じることで一躍注目を浴びた。
『夜の女たち』は、戦後間もない大阪を舞台に、社会の周縁で生きる女性たちの姿を描いた異色作である。主人公は生活のためにやむなく街頭に立つ女性たちであり、彼女たちは日々の糧と引き換えに尊厳を損なわれながらも、必死に人間としての誇りを保とうとする。溝口のカメラは彼女たちを同情ではなく"眼差し"で捉え、弱さよりも逞しさを描き出す。沖山が演じた役も、その流れにあり、肉体を晒しながらも心を守り続ける女の矜持を体現していた。
だがその栄光は、社会的な偏見と厳しい現場との闘いでもあった。彼女は語る。「女が脱ぐということは、作品に奉仕するだけでは済まされない。役柄より先に"裸"の意味を問われる」。観客もスタッフも、演技よりも身体に目を向ける時代だった。しかも戦後すぐ、女優は"芸術家"ではなく"見世物"と見なされがちだった。地方巡業では寝台もない車両で夜通し移動し、舞台に立てば男優の引き立て役。演出家との緊張関係は常態で、「男は演出し、女は従う」という構図は崩れなかった。
そんななか、沖山は「演じることで、自分を所有することを学んだ」と言う。自分の体を自分の言葉で語り、自分の行動を選択する。それは"演技"ではなく、"生き方"の選択だった。70年代初頭、第二波フェミニズムの影が日本にも届き始める頃、沖山のような女優の証言は、まさにその先駆けだったとも言える。
彼女の歩んだ道は、映画という媒体のなかで女性がどのように語られ、どのように自ら語るようになったのかを如実に映し出す。芸術と商業、自己表現と他者の欲望、そして生と演技。そのすべてを揺れながら生き抜いた沖山秀子の記録は、戦後から高度経済成長期へ至る女性表現史のなかで、静かだが確かな光を放っている。
No comments:
Post a Comment