岡林信康「願いの逆光」――『私たちの望むものは』と1970年の魂
1970年7月5日、日本ビクターからリリースされた岡林信康の「私たちの望むものは」は、同年のアルバム『見るまえに跳べ』にも収録された、時代の裂け目を撃つようなメッセージソングである。岡林自身が作詞作曲を手がけたこの曲には、個人と社会の関係を根本から問い直す、静かだが深く重い詩情が込められている。
1969年、過密なスケジュールと「フォークの神様」としての重圧に疲れ、岡林は音楽活動から一時的に離れた。その沈黙の間、彼はボブ・ディランの音楽や、ウィルヘルム・ライヒの『性と文化の革命』、さらには1968年のフランス五月革命の落書きを集めた『壁は語る』に出会う。外界と隔絶された時間のなかで、自身の内面に深く沈潜し、再出発の光を見出した。
1970年4月24日、渋谷公会堂で開かれた「岡林信康壮行会」では、「はっぴいえんど」が伴奏を務め、この曲がライブで演奏された。その記録は『私たちの望むものは 音楽舎春場所実況録音』として後にアルバム化される。ここには、ロックへの傾斜と詩の純粋性がせめぎ合う、時代の音が封じ込められている。
歌詞の構造は徹底して対比的である。繰り返される「私たちの望むものは」のフレーズは、社会通念に対する否定と、新たな価値への希求とを交互に照らし出す。
私たちの望むものは
社会のための私ではなく
私たちのための社会なのだ
この言葉の射程は深い。教育、労働、政治、思想、芸術といった制度のあらゆる面で、人間の本質的な願いが損なわれているという痛みが、淡々と語られる。
私たちの望むものは
義務としての労働ではなく
喜びとしての労働なのだ
生活のための芸術ではなく
芸術のための生活なのだ
これは単なる反体制の詩ではない。むしろ、どこまでも「人間として生きるとは何か」を見つめ直す、静かな詩の運動である。終盤にはフレーズが反転し、否定ではなく肯定としての「私たちのための〜なのだ」が反復される。痛みの中から、希望を掘り出すような構造だ。
私たちの望むものは
私たちのための教育なのだ
私たちのための労働なのだ
私たちのための政治なのだ
私たちのための思想なのだ
この曲は、当時の若者たちに熱狂的に支持され、松山千春やTHE ALFEEの高見沢俊彦など、後の世代のミュージシャンたちにも影響を与えた。2021年には、震災やパンデミックに揺れる日本社会で再び注目され、失われた希望を取り戻すような存在として、再評価の波に乗った。
「私たちの望むものは」は、単なる抗議の歌でも、風刺の歌でもない。それは、時代の逆光を受けながらもなお歩もうとする、人間の深層から湧き上がる、普遍的な「願い」の詩である。50年以上の歳月を越えて、今もその声は聴く者の心に問いかける。
――あなたの望むものは、何なのか。
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