牛と人と、雑草と――神奈川・徳島・島根の「放牧」連帯会話(2004年5月)
この放牧事業が展開された2004年前後、日本の農村は高齢化と過疎化、農業就労人口の減少、耕作放棄地の急増という三重苦に直面していました。バブル崩壊後の経済の低迷を背景に、地方自治体は農村再生と環境保全を同時に叶える施策を模索していたのです。
神奈川県津久井区の「肉牛放牧による農地再生」は、まさにその象徴的な一手でした。高齢化で耕作が困難になった農地に牛を放ち、雑草を食べさせることで除草と土地の再生を両立するというこの手法は、農作業の省力化を実現しつつ、持続可能な農地利用のモデルを提示しました。1頭の牛が1日あたり50〜70kgもの草を食べるというデータは、環境技術としての放牧の可能性を裏付けます。
徳島では「阿波牛」の血統維持という地域ブランド戦略が背景にあり、過疎の中山間地域の小規模農家が放牧に活路を見出しました。これもまた、牛と人との関係性を「生産」だけでなく「地域の存続」に結びつける知恵でした。
さらに島根県の「島根型放牧」は、放牧を林業や環境保全の文脈にまで拡張した先進事例です。雑草除去による野生動物(イノシシ・サル)被害の軽減や、景観維持、農地の再活性化にまで波及し、全国的に注目されました。同県では導入マニュアル「島根型放牧の手引き」まで発行され、ノウハウの水平展開も試みられました。
この時期、日本は環境基本法(1993年制定)やバイオマス・ニッポン総合戦略(2002年)に象徴されるように、「環境との共生」を国家戦略に掲げ始めていました。農業もまた食料供給だけでなく、自然資源の管理者としての役割を期待されるようになり、「多面的機能」が政策のキーワードとなったのです。
牛と人が一体となって耕作放棄地を蘇らせるこの放牧モデルは、こうした時代精神の中で生まれた"静かな革命"でした。エコロジーと地方自治、そして人間の生活文化が交差する点において、これは単なる畜産事業ではなく、21世紀型の農業・環境協働モデルとして評価されるべき取り組みと言えるでしょう。
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