哀愁と力強さの響き―伊藤久男の軌跡 1910–1983
伊藤久男(1910–1983)は福島県の農村に生まれ、東京音楽学校声楽科で学んだ後、声楽家としての基盤を持ちながら流行歌の世界へと足を踏み入れた人物である。その歌声は深みのあるバリトンで、力強さと哀愁を併せ持ち、昭和歌謡の黄金期を象徴する存在となった。戦前はクラシック畑に身を置きながらも映画音楽や流行歌に転じ、昭和10年代から20年代にかけて藤山一郎、霧島昇と並び称される三大歌手として名を馳せた。
戦時中は国策に沿って軍歌や戦意高揚歌を数多く吹き込み、「暁に祈る」などは前線兵士の愛唱歌となった。戦意高揚に動員される音楽の中で、伊藤の堂々たる歌声は国家の声を代弁する役割を担った。しかし敗戦後には、その軍歌歌手としての経歴が一時的に逆風となる。それでも彼は新しい時代に適応し、映画主題歌や流行歌で再起を果たした。
代表作「イヨマンテの夜」(1950年)はアイヌ文化に題材をとった異国的かつ野性的な旋律を持ち、戦後復興期の日本人に強烈な印象を与えた。夜の闇に響く掛け声と独特の節回しは、戦後歌謡の中でも異彩を放つ。また「湯の町エレジー」は温泉街の哀愁を描きながら庶民の心情に寄り添い、戦後の混沌とした社会の中で心の拠り所を求める人々の感情を見事に掬い取った名曲である。
同世代の藤山一郎は東京帝大出身のエリートで、清らかで格調高い声をもって流行歌の貴公子と称された。霧島昇は甘く柔らかな歌声で大衆に愛され、戦時下でも「新妻鏡」などの抒情的な曲を多く歌った。それに対し伊藤久男は、声楽に裏打ちされた重厚な響きで聴く者を圧倒する迫力を持っていた。藤山の端正さ、霧島の柔和さに対して、伊藤の歌声は庶民の胸に深く突き刺さる力を帯びており、戦中戦後を通じて強さと悲哀を併せ持つ稀有な存在だったのである。
こうして伊藤久男は、軍国主義の時代から戦後の復興期へと続く激動の昭和を歌い抜いた。彼の歌は、時に兵士を鼓舞し、時に庶民の哀歓を映し出すことで、昭和日本人の心の風景と響き合っていたのである。
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