Thursday, August 28, 2025

岩下志麻―清純から知性へ、移ろう時代の女優像(1960年代〜1980年代)

岩下志麻―清純から知性へ、移ろう時代の女優像(1960年代〜1980年代)

岩下志麻は1941年に生まれ、戦後復興のただ中で少女期を過ごし、高度経済成長が進む昭和の熱気の中で女優として羽ばたいた。1958年にNHKドラマ「バス通り裏」でデビューすると、テレビが家庭に普及し始めた時代の新しい映像文化を担う若手女優として注目を集める。1960年には松竹と契約し、後に夫となる篠田正浩監督の「乾いた湖」で映画デビューを飾った。同年、小津安二郎の「秋日和」に端役で出演し、その資質を認められて小津の遺作「秋刀魚の味」に抜擢される。この作品で父と娘の微妙な愛情の揺らぎを演じ切り、彼女は大女優への道を踏み出すこととなった。

彼女が活躍した1960年代は、映画産業がテレビの影響で縮小しつつも、まだスターシステムが生き残っていた過渡期である。同世代の女優たちもそれぞれの個性を武器に観客を魅了していた。例えば吉永小百合は「サユリスト」と呼ばれる熱狂的なファンを生み、清純派の象徴となった。倍賞千恵子は「男はつらいよ」のさくら役で庶民の温かさを体現し、浅丘ルリ子は都会的で小悪魔的な魅力を放ちながら日活アクションの看板女優となった。それに比して岩下志麻は、小津作品に見られる清楚で端正な雰囲気から出発し、やがて篠田映画を舞台に知的で妖艶な役柄へと深化していった。

1964年の「侍の椿」では、父を裏切り母の愛人を殺めていく複雑なヒロインを演じ、清純派イメージを覆すことで演技の幅を広げる。その後も篠田監督とのコンビ作で次々と難役に挑戦し、1969年の「心中天網島」では近松門左衛門の悲劇世界を、理知と激情を兼ね備えた姿で体現した。さらに1988年の「華の乱」では、大正期を生き抜いた歌人・与謝野晶子を演じ、後年の代表作として高い評価を得る。

岩下志麻の軌跡は、日本映画が衰退と変革を繰り返す中で、女優が単なるスターから演技者へと変貌していく時代を象徴している。吉永小百合が国民的ヒロインとして不動の地位を築いたのに対し、岩下志麻は清純派から知性派への変貌を遂げ、妖艶さと気品をあわせ持つ存在として独自の立場を確立した。昭和映画の移ろいとともに、その女優像もまた時代を映し出す鏡であった。

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