反骨の語り部 疎沢七郎――昭和46年
疎沢七郎(おざわ しちろう)は、戦後日本文学に強烈な異彩を放った作家であり、その代表作『楢山節考』(1956年)は、戦後の貧困と老い、家族制度、共同体の倫理を、民話のような語りで描いた問題作である。
この作品では、口減らしの風習「姥捨て」を題材に、極限状態に置かれた村社会の倫理と家族愛、老いの尊厳を描きつつ、人間の残酷さと生存の本質を鋭く問う。その語り口は素朴ながら、内部には反近代・反道徳的な視点を含んでおり、戦後民主主義の理念が浸透しはじめた1950年代日本において、大きな衝撃と議論を巻き起こした。
疎沢は商業主義にも、国家権力にも距離を置いた自由な精神の持ち主で、創作のかたわら歌謡曲の作詞や風刺文の執筆も行い、「アナーキスト作家」とも評された。
特に1960年には、彼が執筆した短編(天皇批判を含む描写があった)をきっかけに、右翼団体から脅迫を受け、長期の潜伏生活を余儀なくされた。この事件は「深沢七郎脅迫事件」として記録されている。
1970年という本誌発行当時は、学生運動が衰退しつつありながらも、安保体制や天皇制に対する問題意識が知識人層に根強く残る時代であった。疎沢の存在は、戦後の「民主主義的理想」と「現実の抑圧構造」との乖離を浮き彫りにし、体制批判の象徴でもあった。
彼の作品と生き方は、戦後日本における反骨の知識人のあり方を体現していたといえる。
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