記憶と持続―個体に内在する過去の時間―1900-2025
ベルクソンにとって「記憶」は、単なる過去の情報の再生ではなく、時間そのものの質的な厚みを構成する中核である。彼は、記憶を二重に捉えた。一つは「習慣記憶」で、これは反復された行動や言語のように、身体化された記憶である。もう一つは「純粋記憶」と呼ばれるもので、過去がそのままの形で保存され、現在の意識の中に非物質的に立ち現れる現象である。たとえば、突然よみがえる幼少期の感覚や場面は、純粋記憶の作用といえる。
このような記憶の概念は、ベルクソンの「持続(デュレ)」の思想と深く結びついている。持続とは、時間が空間のように分割されるのではなく、質的に重なりながら流れていくもの。私たちが生きる現在は、過去と断絶した一点ではなく、蓄積された過去が濃縮されて「今」という瞬間に凝縮されている。記憶はその凝縮された時間の厚みにほかならず、意識はこの持続のなかで動的に構成されている。
この理解は、人間の創造や行為の自由とも関連してくる。機械的な反応ではなく、過去をふまえた上での新しい選択や発明が可能になるのは、記憶が単なる記録ではなく、「現在に編み込まれた過去」であるからだ。ベルクソンにとって、意識とはこの持続と記憶の場であり、時間の中に生きる生命そのものだった。
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