太陽の光が山を削る――岐阜・京都に見るメガソーラー開発の逆説 2020年代
岐阜県恵那市や京都府南丹市で進行したメガソーラー建設をめぐる問題は、脱炭素時代の「新しい環境破壊」ともいえる象徴的事例である。山腹斜面を切り開いて巨大な太陽光パネルを設置することで、表土が失われ、雨水が直接地表を流れ、結果として土砂災害や水害リスクが高まった。これに対し、地元住民が建設差し止めを求めて提訴した背景には、「再エネ推進」の名のもとに地域環境が犠牲にされてきた構造への疑念があった。
1990年代後半から2000年代にかけて、日本では環境政策の重点が「公害防止」から「地球温暖化対策」へと移り、2012年の固定価格買取制度(FIT)の導入によって太陽光発電が急速に拡大した。当初は福島第一原発事故を契機とする"脱原発エネルギー"の代替として歓迎されたが、その後、投資目的での乱開発が全国各地に広がった。地方自治体が管理しきれないまま森林伐採が進み、「再エネバブル」とも呼ばれる状況が生まれた。
岐阜や京都の事例では、土地の形状を無視した開発計画が山地崩壊を引き起こし、地域の安全や景観を脅かした。特に南丹市では、豊かな里山文化と農業景観が失われることに対する住民の危機感が高まり、「環境のための開発」が本末転倒に陥る矛盾が浮き彫りとなった。再エネの推進を掲げながら、自然破壊を引き起こす――その構図は、かつての高度経済成長期の「公共事業万能主義」を思わせる。
一方で、この問題は地域がエネルギー主権を取り戻す契機ともなった。恵那市や南丹市では、住民主体のエネルギー協同組合が立ち上がり、「小規模・分散型」の再エネ導入を模索する動きが始まっている。大規模資本による一方的な開発ではなく、地域の合意形成と自然への配慮を前提とした再エネ事業が、次の時代に求められている。
この問題は、ナショナルトラスト運動や地域環境保全の延長線上に位置づけることができる。かつての市民が「自然を買って守った」ように、現代の市民は「エネルギーを選んで守る」段階に来ているのだ。エネルギー政策と地域自治、そして自然共生――その三つの関係を問い直すことが、今まさに日本の環境思想の成熟を試す試金石となっている。
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