Wednesday, October 1, 2025

地球の時計が告げる予兆 IPCC報告と温暖化の未来 1995年

地球の時計が告げる予兆 IPCC報告と温暖化の未来 1995年
1995年、気候変動をめぐる国際議論は大きく舵を切った。IPCC第1作業部会は、温暖化の主因が人類の化石燃料起源の温室効果ガス排出にあると結論づけ、識別可能な人為的影響が現れていると整理した。自然変動と人為起源のせめぎ合いを追ってきた科学は、この時点で人為要因の信号が統計的に見えてきた、と公的に位置づけられたのである。

将来予測も具体化した。1990年比で2100年までに全球平均気温はおよそ1.0〜3.5度上昇し、平均海面は約15〜95センチ上がり得ると見積もられた。これらは当時の排出シナリオと気候感度の幅、氷床や熱膨張の不確実性を織り込んだレンジであり、小島嶼国や沿岸都市の脆弱性を可視化した。

科学的論点では、温室効果ガスの増加とともに、硫酸塩エアロゾルの冷却効果という負の放射強制力も併記され、地域差の大きい観測記録を説明する鍵として扱われた。検出と原因特定の研究は、自然変動の揺らぎに埋もれがちな人為信号を統計的に抽出する段階に入り、以後の評価で確信度を高めていく礎となった。

政策面では、同年のベルリン会議でベルリンマンデートが採択され、2000年以降に先進国が法的拘束力ある数値目標を持つ方向性が明示された。開発途上国には新たな義務を課さないという枠組みもここで確認され、交渉は京都へと進む。1997年十二月、京都議定書が採択され、先進国に初の多国間削減義務が課された。

のちの総括は、この転回点をさらに裏づける。近年の評価では、人為起源の影響が疑いの余地なく気候システムを温暖化させていると記され、1995年の識別可能という表現は、より強い確信表明へと進化した。要するに1995年は、科学と外交が噛み合い始めた年だった。科学は人為起源の信号を示し、政策は数値目標という器をつくる。その組み合わせが、二十一世紀の気候ガバナンスの原型を形づくったのである。

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