Monday, December 1, 2025

政治の闇を手探りで歩く時代 日本の政と世相の揺らぎ 1974〜1976年

政治の闇を手探りで歩く時代 日本の政と世相の揺らぎ 1974〜1976年

1975年前後の日本政治には、地面そのものがじわりと揺れ続けているような、不安定な空気が濃く流れていた。雑誌の誌面に「政治の世界は一寸先は闇だ」と語られた背景には、偶然ではなく、あの時代を覆った重層的な陰翳がある。まず、1974年に表面化した田中角栄の金脈問題が国民の目を政治の裏側に向けさせ、政治家の一挙手一投足に不信の影を落とした。角栄は実行力のある政治家として評価されていたが、同時に企業献金や土地取引の不透明さを指摘され、金権政治の象徴としてその名が刻まれた。退陣は事態の収束を意味せず、後に続く政界の混乱の始まりでしかなかった。

田中退陣後に登場した三木武夫内閣は、クリーン政治を掲げながらも党内の角栄派の反発に晒され続け、政権の足元は常に揺らいでいた。永田町では派閥の力が見えない糸を引き、誰がいつ失脚するか読めない緊張が続いていた。政治が軸を失ったようにゆらめき、国民には「明日は何が起きるのか」という不意の恐れが広がっていった。

そのうえ、1973年のオイルショックから続く経済不安が、政治不信をさらに深いものにした。物価は落ち着かず、中小企業は打撃を受け、実質賃金は伸び悩んだ。暮らしの視点で見れば、市場の値札の変動ひとつにも将来の影が差し、国民の心に静かな不安が沈殿していった。政治が混乱しているため、この不安はさらに膨らみ、頼れるものの輪郭があいまいになっていった。

一方アメリカでは、ウォーターゲート事件を経て1974年にニクソン大統領が辞任し、「司法が大統領すら裁く」という劇的な展開が世界に衝撃を与えた。日本の知識人の間では、アメリカの司法の強さへの驚きと羨望が生まれ、日本政治が抱える透明性の欠如や、権力間の曖昧な馴れ合いがいっそう意識されるようになった。誌面にあった「司法の堂々と告発できる米国は上等国であります」という一文は、軽い冗談に見えて、当時の日本人が抱えていた自己評価の低さを鋭く示している。

こうした背景を重ね合わせると、「政治は一寸先は闇」と語られた一文の奥に、1974〜1976年の日本が抱えた濁りと揺らぎが深く潜んでいることが分かる。政治の混迷、経済不安、国際情勢の揺れが複雑に絡み、国民は先の見えない暗がりを手探りで歩くように日々を過ごしていた。雑誌に記されたそのひと言は、時代が思わず吐き出した溜息のようであり、あの時代の日本人が立ち止まって見つめていた「闇」の輪郭を今に伝えている。

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