Monday, June 2, 2025

声なき声の地図――柳田国男をめぐる思索(1974年)

声なき声の地図――柳田国男をめぐる思索(1974年)

1974年という年は、高度経済成長がひと段落し、第一次オイルショックを経て、日本社会が「成長の限界」を意識し始めた時期だった。都市化が急速に進み、農村は過疎化し、家族や地域の共同体は解体の危機に瀕していた。こうした社会的変動のなかで、人びとは「自分たちは何者か」「どこから来たのか」といった根源的な問いを抱えるようになる。民俗や伝承は過去の遺物として忘れ去られていく一方で、その喪失が逆に「失われた日本」を求める欲望を呼び起こしていく。

このような文化的転換点において、柳田国男の民俗学が再び重要視されるようになるのは自然な流れだった。彼の見た「常民」の世界、すなわち、国家でも都市でもない、日常生活の中に潜む知恵や語り、信仰のかたちは、もはや現実には存在しないが、都市生活者の想像力を刺激する。あるエッセイでは、現代の知識人が「もう一度、柳田のように歩くことはできるのか」と自問し、すでにそれが困難であることを痛感している。つまり、柳田の方法は現代においても価値があると同時に、もはや実践不可能な幻想として立ち現れてくるのだ。

その一方で、柳田の仕事は「記録文学」の先駆としても評価されている。当時流行していたルポルタージュ文学や私小説的な手法に対し、「フィールドに出て、人の声を聞き、書き留める」という柳田の態度は、まさに原点として位置づけられていた。これは単なる文学技法の問題ではなく、「誰の声が残るのか」という、記憶と記録の政治に関わる問題でもある。

柳田国男(1875年〜1962年)は、日本の民俗学の創始者であり、「常民」と呼ばれる普通の人々の日常生活や信仰、習俗を体系的に記録・分析したことで知られる知識人である。彼の学問的営為は、従来の歴史学や文学が貴族や知識階級を中心に語っていたのに対し、名もなき庶民の経験世界に目を向けるという、根本的に異なる視座を提供した。代表作『遠野物語』は、岩手県遠野地方の伝承や妖怪譚を通じて、日本人の無意識的な心性を掘り起こした画期的な作品である。

柳田の思想の核心には、「語り部」としての常民への尊敬がある。彼は、民間伝承や昔話、農村の生活習慣といった、文字にならない知を「生きた記憶」として記録し、研究の対象にした。これは、日本社会の近代化とともに急速に失われていく生活のかたちを保存しようとする文化運動でもあった。柳田はまた、言葉の変化や方言にも関心を示し、文化と言語の不可分な関係を明らかにしようと試みた。

戦後になると、柳田の方法論は多くの分野に影響を与える。文学、社会学、思想史、さらにはジャーナリズムや記録映画の分野に至るまで、彼の「聞くこと」「記すこと」「現地に行くこと」といったフィールドワーク的態度は、記録主体としての知識人像を刷新していった。とりわけ1970年代には、都市化によって消えゆく「周縁的な文化」への関心が高まり、柳田的視点は時代の批評装置としても再評価される。

1974年の文芸誌における柳田言及は、そうした思想的・文化的遺産の再確認として位置づけられる。失われたものへの哀惜と同時に、それを拾い集めて語る営み。柳田国男が生涯をかけて行ったこの作業は、急速に変化する日本社会において、なおも有効な思考の地図となっていたのである。

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