賭けに生き、滑稽に敗れよ――編集という競艇の舟券にすべてを投じた男の告白(1974年)
僕は、大学時代に競艇に狂った。5万円を持って尼崎競艇場へ行き、2日で消えた金は戻らない。それでも帰りの電車賃がなくなるまで舟券を握りしめていた。帰りは歩いて大阪へ戻った――といったら映画みたいだけど、現実はそのまんまだ。靴を質に入れ、百科事典まで売り払って、それでも足りなくて、友人に泣きついた。まったく、自堕落の極みだった。
だけど、あの感覚は編集と同じだよ。舟券を買うときと原稿を賭けるとき。どちらも「当たるかどうか」は天の気分次第だし、なまじ予想しても裏切られるのが常。つまり、これは人生の縮図なんだ。すごくシンプルに言えば、「生きている」ということの可笑しさが、そこにはある。
僕は編集者になったあとも、あの感覚が抜けなかった。原稿を頼んでは落とされ、校了間際に逃げられ、部数が読めないギャンブルに一冊まるごと突っ込む。どれも、当たれば天国、外れれば地獄。だけど、それでもまた次の舟券(雑誌)を握ってしまうんだ。なぜかって? それは、負け続けることの快感を知ってしまったから。
1974年――この時代、日本は高度経済成長の終盤で、第一次オイルショックの混乱がまだ尾を引いていた。街には失業と物価高の影が漂い、学生運動も終焉を迎えていた。何も信じられない。だからこそ、「何かに賭ける」という行為にしか、生の実感は残されていなかった。運動でも革命でもなく、出版というギャンブルであっても。
雑誌を創刊するって話になったときも、僕は「また舟券が買える」と思った。読者が笑うか、怒るか、それとも誰にも見向きもされないか――全部を見越した上で、それでも編集という場に身を置くしかなかった。ギャンブルをやめた男が、編集という「終わらないレース」に賭け直した。それが僕だ。
いま振り返っても、あの頃の敗北は滑稽で、愛おしい。人生なんて、どこまでいっても"失敗の記録"だ。それでも舟券を買い続ける馬鹿が、この国には必要だと思ってる。誰かが笑えばそれでいい。それが出版だった。いや、賭けだった。
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