Wednesday, December 17, 2025

焼け跡に朱の灯 1945-1955 帳元の娘が語る行商と商売の誇り

焼け跡に朱の灯 1945-1955 帳元の娘が語る行商と商売の誇り

テキヤの掟R 157頁付近の語りは 戦後の暮らしの底を歩いた家族の商いが どんな倫理と感情で支えられていたかを ひと息に伝えてくる ここで語られる人形の行商は ただの小商いではない 配給が滞り 物資が欠け 生活の手触りそのものが不安定だった時代に 人びとの手元へ品物を運ぶ 生活の流通の末端としての仕事だった

終戦直後から復興期にかけて 配給制度は続いたが 遅配や欠配も多く 人びとは不足を補うために 買い出しや闇市に頼らざるを得なかった そうした混乱の中で 駅前や焼け跡の空地には 露店や屋台が集まる市が生まれ そこが食料や生活必需品の受け渡しの場になった 露店や行商は 非正規で危うい一方で 生活をつなぐための現実の仕組みでもあった

語り手の家族は 夏は造花やほおずき 冬は人形へと 季節で扱いを替えながら 生計を立てる 季節商いは 需要の波と行事の暦に身を合わせる技であり 祭りや縁日が 人びとの気持ちをほどく ハレの場であることも見抜いている ほおずきの市は 江戸から続く縁日文化の一つで 浅草寺の四万六千日の縁日に結びついて語られることが多い 戦時中に途切れた行事が 戦後に復活していく流れも また 復興の実感と重なる

父が 人形の出来に自信が持てないと 売り子を避ける場面がある ここにあるのは 生活のためなら何でも売る という単純な物語ではない 受け取る金が 小銭であっても 自分の手仕事や目利きに折り合いがつかないまま 口上を張ることができない という職人の恥じらいがある それは 物が足りない時代にこそ 物の質が そのまま作り手の顔になる という感覚でもある

一方で 母は 値切りの多い商材を 品よくさばく 値切りは ただの駆け引きではなく 戦後の家計の切迫と 交渉が日常に入り込んだ時代の空気でもある それでも母は 客との関係を壊さない その節度は 次の縁日 次の市で また会うかもしれない という時間感覚 そして 祭りの場を荒らさない という暗黙の公共心に支えられている

この家族の商いには 露店の世界にありがちな 荒々しさよりも 祭り文化に寄り添う誠実さが前に出る 人形を売るとは 生活の道具を売ること以上に 夢や記念の形を手渡すことでもある 子どもに渡る品なら なおさら 売り手の側にも ささやかな矜持が立ち上がる だからこそ 父のためらいと 母の品のよさは そのまま一家の誇りとして 娘の記憶に刻まれる

戦後の都市では 闇市や露店市が 拡大し 行政の黙認や整理の圧力の間で 揺れながらも 人びとの生活を支えた と研究や公的展示解説でも指摘されている こうした大きな背景の中で 157頁付近の語りは ひとつの家族史として 具体的な手触りを与えてくれる

そして ここで描かれる誇りは きれいごとではない 乏しさの中で 品物を工夫し 場に合わせ 客と折り合いをつけ 自分の顔を守りながら 生きていく その現実の強さである 祭りは 一日だけの非日常だが その一日を支える商いは 生活のど真ん中にある 焼け跡に灯った朱の色が ほおずきの赤と重なるように この語りは 復興の時代の 市井の息づかいを 静かに照らしている

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