Tuesday, December 16, 2025

見せる夢の終焉 元禄-宝暦期 太夫と揚屋が消した吉原の豪遊文化

見せる夢の終焉 元禄-宝暦期 太夫と揚屋が消した吉原の豪遊文化

宝暦以前の吉原は、最上位の遊女である太夫を揚屋に招く豪奢な遊びを中心とした、限られた階層のための社交空間だった。太夫の道中や揚屋での宴は、客の財力と権威を誇示する舞台であり、大名や豪商だけが享受できる特別な文化であった。しかし元禄期の繁栄が終わると、幕府財政の悪化や倹約令、災害や貨幣改鋳による混乱が重なり、派手な消費は社会的にも政治的にも許されにくくなる。莫大な費用を要する太夫と揚屋の様式は維持できず、制度は次第に衰退していった。その結果、吉原は妓楼で直接遊ぶ形式へと移行し、花魁や中位以下の遊女が主流となる。遊びは儀礼的な豪遊から、時間と金を管理する現実的な娯楽へと変質した。この変化は衰退ではなく、町人や中級武士を取り込むための適応であり、吉原が生き延
びるために選んだ転換だった。太夫の消滅は、見せびらかす夢の時代が終わり、帳尻を合わせながら続く現実の時代へ移ったことを象徴している。

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