言葉の帳尻 宝暦以降-江戸後期 新吉原の引手茶屋と廻し方が回した金と機嫌
宝暦以降の新吉原は、花魁道中に象徴される華やかさの裏で、分業と信用によって成り立つ巨大なサービス業として完成していた。揚屋制度が衰退し、客層が町人や中級武士へ広がると、遊興は一夜限りの豪遊から、継続的な通いへと性格を変える。その中核を担ったのが、引手茶屋による立て替えと後日一括請求の仕組みである。この制度は客の利便性を高める一方、金の回収という重い責任を引手茶屋に集中させた。そのため裏方の会話は、情緒ではなく与信と帳尻をめぐる実務の言葉となる。集金の遅れや客の機嫌は、即座に経営リスクとして共有され、今日はどの遊女を当てるかという判断も、感情配慮ではなく回収可能性を軸に決められた。廻し方は座敷全体を統括し、接客、会計、揉め事の火消しまでを担う存在であり、
その言葉は空気を保ったまま金に着地させる技術でもあった。こうした業務会話は、華やかな演出の背後で過酷な現実を支えた、江戸後期吉原の経営言語そのものである。
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