Wednesday, December 17, 2025

門をくぐる遊び 宝暦以降-江戸後期 揚屋から店舗へ移った吉原のかたち

門をくぐる遊び 宝暦以降-江戸後期 揚屋から店舗へ移った吉原のかたち

宝暦期以降の吉原は、揚屋に太夫を招く上層階級向けの儀礼的遊興から、妓楼で直接遊ぶ店舗型の仕組みへと大きく姿を変えた。元禄期の繁栄が終わり、幕府財政の逼迫や倹約令が続くなか、豪奢な揚屋制度は維持できなくなり、吉原は存続のために遊び方そのものを転換する必要に迫られた。客は招かれる存在から自ら門をくぐる存在へと変わり、遊興の主体も大名や豪商から町人や中級武士へ移っていく。この変化を支えたのが引手茶屋であり、客の案内、妓楼や遊女の割り振り、費用の立て替えと回収を一手に引き受けることで、庶民でも吉原に入りやすい環境を整えた。料金は細分化され、時間や等級に応じた現実的な選択が可能となり、遊女も象徴的存在から回転し稼ぐ存在へと位置づけられる。揚屋制度の消滅と店舗型へ
の移行は、吉原の格が下がったことではなく、江戸社会が成熟し、帳尻を合わせながら楽しむ庶民文化が主役となったことを示す転換だった。

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