熊手の影で値は下がらず 1945-1960 テキヤ 有名人が人形を値切った日
戦後の復興が進み、街に再び人の流れと娯楽が戻り始めた頃、酉の市は都市の活気を象徴する場として賑わいを取り戻していた。江戸以来、商売繁盛を祈る年中行事として続いてきた酉の市は、戦時中の中断を経て、戦後には復興の兆しを人々に実感させる場となった。露店が立ち並び、熊手や縁起物が売られるその空間は、単なる市場ではなく、焼け跡から立ち上がる都市文化そのものだった。
その日、人形の店に現れたのは、大勢を連れた紳士だった。テレビで見覚えのある有名人で、立ち居振る舞いは穏やかで品がある。まだテレビが家庭に完全には行き渡っていなかった時代、有名人は日常とは切り離された存在であり、市井の場に現れるだけで空気が変わった。そんな人物が、柔らかな口調で、これまけてと言う。その一言は、無遠慮というより、当時の市の作法に則った自然な振る舞いでもあった。
戦後の露店や縁日では、値切りは敵意ではなく、会話の入口であり、互いの距離を測るための儀礼に近かった。客は値を下げることで得をしようとするだけでなく、売り手とのやり取りそのものを楽しんでいた。しかし、この場で扱われている人形は値札付きの商品だった。人形は大量生産品になる前の段階にあり、出来や素材、作り手の技量がそのまま価格に反映される半ば工芸品である。簡単に値を下げることは、品物の価値を崩すことにつながる。
語り手は、そこで母の口癖を思い出す。また今度お願いしますね。この言葉は、単なる断り文句ではない。今は値を下げられないという意思を示しながら、相手との関係を切らず、場の空気を和らげるための知恵である。値切りを拒むことで有名人の顔を潰すこともなく、かといって特別扱いをして商売の筋を曲げることもしない。その絶妙な距離感が、この一言に凝縮されている。
このやり取りには、緊張と余裕が同時に存在している。相手は有名人であり、断れば周囲の目も気になる。しかし、市に立つテキヤとして、値札を守り、人形の価値を守る覚悟もある。その両立は、一朝一夕に身につくものではない。戦後の混雑した市や縁日で、無数の客と向き合い、場の空気を読み続けてきた経験があってこそ可能になる。
市場という場所は、身分や知名度が一時的に平らになる空間でもある。テレビで見るスターも、市では一人の客に過ぎない。その平等性を支えているのが、値切りへの応答という細やかな作法だ。人形を値切った有名人と、それをやんわりと退けたテキヤの売り手の応酬は、戦後日本の露店文化が持っていた成熟と自負を静かに物語っている。
戦後の闇市や露店市が復興期の流通を支え、酉の市が復興の象徴として再び人々を集めたことは、民俗学や都市史の研究でも指摘されている。テレビの普及が始まった1950年代には、有名人が市井に現れること自体が一つの出来事だった。この短いやり取りの背後には、そうした時代の変化と、場の秩序を守ろうとする商いの倫理が折り重なっている。人形の値は下がらなかったが、その場に流れた言葉と間合いこそが、当時の市場で生きるテキヤの技と誇りを雄弁に語っている。
No comments:
Post a Comment