〈思索の火花、批評の炎――小林秀雄という精神の旅路 1902年〜1983年〉
小林秀雄(1902年〜1983年)は、日本近代における最も影響力のある文芸評論家の一人であり、「批評」という営みを単なる感想や解説から脱却させ、「思考」の本質に迫る哲学的行為へと高めた人物である。彼の文体は一見難解でありながら、読む者に強烈な思索の緊張を要求し、文学を読むこととは何か、作品を味わうとはどういう営みかを、根底から問い直させる力を持っていた。
1902年、東京に生まれた小林は旧制一高から東京帝国大学文学部仏文科に進み、若き日にはランボーやボードレールに傾倒する。その感受性は、やがて日本の文芸評論に新たな風をもたらすこととなる。1930年に発表した「様々なる意匠」は、当時の文壇に鮮烈な印象を与え、小林の名を一躍世に知らしめた。以後、志賀直哉や芥川龍之介といった作家を題材に、文体と思想の関係に鋭く切り込む批評を展開し、単なる解釈にとどまらない"読むとは何か"の探求を続けた。
小林の特徴は、作品を冷静に分析するのではなく、作者の思考の流れに身を投じ、作品が生まれた必然性を感受する姿勢にある。彼にとって批評とは、あくまで作品と心を交わす対話であり、それは道徳や人生観、美的感受性にまで深く関わる営みであった。特に戦後の代表作『無常という事』では、合理主義や進歩史観を疑問視し、日本的な感性や死生観に立脚した思索を展開する。
晩年の大作『本居宣長』では、十八世紀の国学者を通して、「考える」とは何かを徹底的に問い直す。言葉と思想の根源を、日本語そのものの性格から掘り下げ、西洋的な論理や近代的思考法とは異なる思惟の在り方を浮き彫りにした。その文章は、文学批評というよりも哲学書に近く、読む者に重厚な知的緊張を要求する。
芸術についての小林の考察もまた、独特の深みを持っている。彼は芸術を単なる技巧や感覚的な娯楽とは見なさず、それを「精神の行為」として捉えた。たとえば『ゴッホの手紙』や『近代絵画』では、印象派やセザンヌ、ルオーといった画家たちの作品を論じつつ、絵画とは「見えるもの」ではなく、「見るという行為」そのものの深淵に触れる営みだと説く。彼は、画家の苦悩や狂気のうちにこそ、芸術の真実があると考えた。芸術は何よりも誠実さを要する行為であり、人生に対する一つの倫理的応答でもあるという立場を貫いた。
音楽において、小林はとりわけモーツァルトに強い関心を抱いていた。随筆『モオツァルト』では、天才作曲家モーツァルトの音楽に触れた体験を通して、「音楽とは何か」という問いを感性と知性の両面から追求している。彼にとってモーツァルトは、単に美しい旋律の作曲家ではなく、「天与の形式感覚によって、苦悩や死の影すら、明るい様式に昇華してしまう不思議な精神」の持ち主であった。小林はモーツァルトの楽曲に、人生の悲劇を軽やかに引き受ける「美の形式」を見いだし、それを「慰め」であると同時に「恐るべき表現」と評している。
このモーツァルト論は、音楽批評を超えて、芸術そのものに対する小林の思想の集約でもある。芸術は情緒の爆発ではなく、形式の中に魂を刻む行為だという考えは、彼の他の芸術論とも響き合っている。モーツァルトの軽やかさの中に潜む死の気配に、彼は沈黙のような深さを見ていたのである。
彼の批評は、後の吉本隆明や柄谷行人、中上健次といった思想家・作家に強い影響を与え、「批評とは芸術である」という観念を日本に根付かせた。単なる評価や解釈にとどまらず、読者自身が考えることの意味を問う批評――それが小林秀雄の遺産である。
代表作には『様々なる意匠』『無常という事』『本居宣長』『近代絵画』『ゴッホの手紙』『モオツァルト』『考えるヒント』などがあるが、いずれも形式や主張を超え、知の営みとしての「読むこと」に深く切り込んだ珠玉の文章群である。
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