### 涙に咲く椿の歌――都はるみと市川昭介、演歌に刻まれた師弟の絆(1964年〜)
都はるみ――1948年、京都に生まれた少女は、15歳で全国歌謡コンクールを制し、1964年に「困るのことョ」でデビューを飾る。そして、同年に発表した「アンコ椿は恋の花」がミリオンセラーとなり、一躍スターダムを駆け上がった。その凛とした哀愁と情熱の入り混じる歌声は、瞬く間に昭和の大衆の心をつかんだ。
その成功の背後には、一人の作曲家の存在があった。市川昭介――演歌界の名匠であり、都はるみにとっては「歌謡界の父」とも呼ぶべき存在だった。二人の出会いは、単なる仕事の枠を超えて、魂と魂の共鳴だった。市川は「涙の連絡船」「大阪しぐれ」など、都の代表曲を次々と生み出し、彼女の声の奥底にある情念を見事に引き出してみせた。
中でも1975年に発表された「北の宿から」は、都はるみと市川昭介の師弟関係が結晶化した一曲といえる。作詞は阿久悠、作曲は市川昭介。歌詞は、去っていった男を忘れきれず、未練と哀しみの中で暮らす女の独白を綴る。その語り口は情に溺れず、むしろ静かな強さを湛えている。都はるみの深く柔らかなビブラートが、心の機微を繊細に描き出し、聴く者の胸に染み入る。
「あなた変わりはないですか 日ごと寒さがつのります」――冒頭の一節からして、情景は厳冬の北国。だがその寒さは、物理的なものというよりも、心の奥にしんしんと積もる孤独そのものだ。都の歌声は、その凍てつく情念にそっと灯りをともす。
この楽曲で都はるみは、1976年の第18回日本レコード大賞を受賞。また、同年のNHK紅白歌合戦ではトリを務め、その名を不動のものとした。
都はるみの歌は、「はるみ節」とも称される独自のビブラートとこぶしが特徴だが、その深みと陰影を支えたのが市川の旋律であった。彼は彼女の感情の機微に寄り添い、時に導き、時に見守った。1984年に一度引退した都はるみだったが、1989年に復帰。そのときも市川は陰から彼女を支えた。
2009年には、彼の七回忌にあたって追悼アルバム『恩師 市川昭介先生七回忌企画 都はるみ 市川昭介を唄う』を発表。そこには、彼女の声に宿る師への深い敬愛と、歌でしか交わせない言葉が詰まっていた。
市川昭介という作曲家の背に寄り添いながら、都はるみはその声で幾度となく日本人の心を揺らしてきた。演歌とは哀しみを歌うものではなく、それを抱いてなお生きる力を歌うものである――そう語るかのように、椿の花のような強さと儚さを携えた彼女の歌は、今も静かに、そして力強く響いている。
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