「空を裂いた赤い航路――よど号と田中義三」〔1970年3月〕
1970年3月、羽田発福岡行きの日本航空351便を、田中義三ら9人の赤軍派が乗っ取った。模造の刀を手に操縦室へ突入した田中は、その中心にいた。目的は北朝鮮への亡命。機体は一度韓国に着陸し、人質交換の劇を経て、ついに平壌へ向かう。この「よど号ハイジャック事件」は、日本で初めての本格的航空機乗っ取りであり、国家を揺るがす衝撃となった。
田中は1948年生まれ。熊本県で育ち、明治大学夜間部に在学中に社会主義学生同盟、そして赤軍派に合流。1969年には警視庁への火炎瓶事件に関与し、地下に潜った。そして翌年、事件を決行する。
北朝鮮では1977年に結婚し、長年を過ごすが、1996年には偽ドル事件でカンボジアにて拘束。2000年に日本へ送還され、懲役12年の実刑が確定した。服役中に肝臓癌を患い、2007年に刑の執行停止を受けて病死。
革命を夢見て空を裂いたその行動は、理想と現実の狭間で揺れる戦後日本の影そのものだった。
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