Monday, May 26, 2025

笑いとメディアの薄明――三遊亭円楽、テレビの時代を語る(1970年頃)

笑いとメディアの薄明――三遊亭円楽、テレビの時代を語る(1970年頃)

一九七〇年前後、日本は高度経済成長の余韻の中にあり、テレビはすでに国民的メディアとして揺るぎない地位を築いていた。各家庭にブラウン管が鎮座し、団らんの中心には「お茶の間の笑い」があったが、その反面「一億総白痴化」という痛烈な批判もまた、メディアを巡る議論を覆っていた。

そうした時代にあって、落語家・三遊亭円楽の姿勢は、静かに、しかし鮮やかに際立っていた。彼はこう語る――「テレビを見る時間は増えています。他のクレント、つまりクライアントの研究のためです」。それは、娯楽としてではなく、職業的眼差しでテレビを見つめる芸人の、プロフェッショナルな在り方を示している。

当時、円楽は深夜番組『ナイトショー』の総合司会を務めていた。テレビがまだ夜更けの顔を持っていた時代、そこには、昼間の番組では語られない大人の空気が流れていた。『ナイトショー』は、歌謡、談話、即興といった要素を巧みに織り交ぜた番組であり、円楽はその「宵の語り部」として、柔らかくも鋭い語り口を発揮した。

印象的なのは、視聴者に対するユーモアあふれる言葉である。「ニャニャしながらこう言います。あなた、ご長寿ですね」。過剰なテレビ視聴をする視聴者に対する、やんわりとした皮肉であると同時に、笑いをもって包み込むような落語家的視線でもある。テレビの中にいる自分もまた、その白痴化構造の一部であるという自覚が、この一言には込められている。

落語界は当時、古典の形式美を守りながらも、テレビという新たな舞台へ進出しなければならない岐路にあった。三遊亭円楽はその狭間に立ち、伝統芸と現代メディアの接点を体現していた存在であった。彼の語りは、商業主義に染まることなく、庶民の目線に寄り添い続けるものであった。

一九七〇年は大阪万博の年でもあった。国家の威信が高らかに掲げられる一方で、円楽のような芸人たちは、日常のささやかな一言や、深夜の番組のひとコマで、人々の笑いと安心を支えていた。派手な演出やきらびやかな舞台ではなく、語りの間と表情のゆるみ、その繊細な技にこそ、昭和の芸能は生きていたのである。

三遊亭円楽――その穏やかで確かな観察眼と、どこか寂しさを含んだ微笑は、テレビという鏡の中に、時代そのものを映していた。笑いとは何か。テレビとは何か。その問いを、彼は沈黙の間にそっと残したまま、ブラウン管の向こうへ消えていった。

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